オデッセイ

あらゆる困難を科学のちからで乗り切る、良いSF映画。テンポよく次から次へと展開していくのは良かったけど、植物のくだりとかジェットエンジンのあたりがもっと知りたくなったので本を読んでみようと思います。映画としてはすっきりまとまってていいんだけど、詳細な表現はやっぱり文字(小説)の方が向いてると思う。
さて、火星でひとり置き去りにされたワトニーのサバイバルが物語の中心ですが、その周辺の描き方がちょっと面白いなあと感じました。
というのはNASAの中の政治的なお話。火星有人飛行ミッションというのは、それはそれは莫大な予算がかかるわけですよ。予算だけじゃない、数百日もかかる宇宙旅行に耐えられる宇宙飛行士だって、そうそう適正のある人もいないわけで。簡単に火星に人を送り出すわけにはいかないんですよね。で、「置き去りにされたワトニーを救う」というだけで、ものすごく大掛かりなミッションになってしまうんですよ。はっきり言って見捨てた方が安上がりなのは明らか。でもそんなことをしたら世論が黙ってない。映画中に時々記者インタビューのシーンが出てくるんですが、それが端的に世論を表現していると思いました。そして面白いのがワトニーのサバイバルが全世界で共有されていること。あ、シェアっていった方がいいのかな(笑)これがなんだか妙に説得力があるというか、ワトニーの火星での生活が一つのコンテンツとして成り立ったからなんじゃないかと思うんですよね。リアルタイムで、生死という単純で誰にも無視できない全人類共通の問題を抱えて、他に競合するコンテンツがなくて。そして広報の人がこのコンテンツの性質を的確に捉えていて、「一年後にはもう誰も関心を持ちませんよ」(うろおぼえ)と意見するんですよ。ワトニー自身は科学のちからで頑張るんだけれど、その背景にはメディア戦略や、当然NASAの予算獲得に奔走したり、スケジュールを強行させる政治力の強い担当者がいる、というのが丁寧に描かれていて面白かったですね。


それともう一つは科学という言語のお話。あんまり詳しい事を書くとネタバレになってしまうので伏せますが、言葉や人種、文化は違っても科学というレイヤーではその差異を越えて行ける、ということ。映画中には様々な人種の人たちが登場します。アメリカ人、インド人、中国人などなど。信じている神様も(そんなジョークがちょこっと出てくる)、言葉も、立場も男女も年齢も、聞いてる音楽の趣味も(笑)全然違う。でも液体燃料から水を作るために必要な手順はワトニーがやっても、誰がやっても同じ。地球の公転と自転を計算して宇宙船に荷物を輸送するための合流地点を算出するのは…ちょっと人間の手には余るけど、その計算手順のプログラムは、誰が書いてもあまり差はないはず。合意に達するのに千の言葉を重ねる必要もなく、科学の範囲内であればほんの少しの数式、化学式、植物の系統図、ASCIIコード表なんかでイメージを、意思を共有できる。それがこの映画の中の混沌としたトラブル続きの状況の中で、淀みなくさらさらと交わされてるのが印象的でした。