ドリーム

観てきました。1960年代、人種差別と男女差別という二重の困難を乗り越えて活躍した女性たちの物語。


先日見た「ワンダーウーマン」でも思ったのですが、能力なんですよ。その能力を持っている、その能力で役に立ちたいという、ごくごく基本的な欲求、ただそれだけだと思うんですよ。そしてその能力には肌の色も、男女の差もさほど関係がない。まあ確かに体格の差という物理的なものはあるから、まったくないとは思わないけど。でも理数という高度な抽象概念には、そういう物理的な外見は関係がない。能力を持った人がどんな外見をしていようと、導出される答えは同じはず。
「わたしにはそれができます」と言えること、そして良い仕事には「よくやってくれた」と相応の報酬と評価があること。それを実現するのが困難な時代に、正面切って挑んだ三人がとても素敵でした。


ネタバレ










三人の中でとても共感したのは、管理職となったドロシーでした。管理職という役職は私はあまり興味がないけど、計算を人の手で行っていた時代に、コンピュータが導入されるという状況をいち早く察して、自らコンピュータ言語(FORTRAN!)を独学で学ぼうとする姿勢が、私も常に意識しているところでなんというか、先輩だ!と思ったんですよね。そう、今のままでは食いっぱぐれる。それなら新しいことができるようになろう。
同じだ、と思ったんですよ。こんなに時代が違うのに。きっと同じ時代に生きていたら「そうだよね」と言っていたと思います。それとは逆に、数学が得意なキャサリンはいくら数学が得意でもコンピュータには勝てない事実もさりげなく表現されているんですよね。最新のデータが刻々と更新されキャサリンが再計算を強いられるエピソードは、あらかじめ作成しておいたコンピュータプログラムにデータを投入すれば瞬時にできたはず。今ならExcelでできる(笑)計算という面で計算者は計算機には敵わない。けれど黒板に数式を書きながら周回軌道から大気圏突入への変換はオイラー法が適切だ、とはコンピュータには思いつかないんですよね。この創意は人間にしかできない。キャサリンの真の能力はただの計算力ではなく、そういう着想の方にあったんじゃないかなと思いました。
そういう意味ではコンピュータの時代の幕開け、という見方もできる映画でもありました。そして今やそういう人間特有のアイデアや経験則も機械学習によって予測や分類が可能な時代になってきました。
そんな時代でも、やっぱり食いっぱぐれないように新しいことを真っ先に覚える、という態度は有用に思えるのです。