「METAL GEAR SOLID - Guns of the Patriots」(再考)

METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS

METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS



ネタバレがあります。










以前にも感想を書いたのですが、再読して気づいたことがあったので。
ゲームをプレイして、更にこの本を読んだ方なら分かると思うのですが、この小説はかなりゲームに忠実に描かれています。小説という表現形式にはそぐわない、ゲーム中の演出や盛り上がりの部分に多少の脚色や省略はありますが、あとがきで作者自身が指摘しているように、ちょっと忠実すぎるくらいです。ところがただ一点、エンディングだけが例外なんですね。
ゲームでは、主人公ソリッド・スネークの死ははっきりと描かれてません。MGSシリーズの常套手段で曖昧に描くことで、希望を持たせるエンディングになっています。ですが、「ファンの一人」である作者が描くエンディングでは、この演出も忠実になぞりながら、更にその先へと踏み込んで行くのです。小説ではスネークの死、そしてヒーローが不在の風景まで短いながらもきちんと描いています。普通に考えて、長年支持してきた作品のキャラクターを、それも公式のノベライズの中で死なせるというのは、すごい暴挙のように思えます。
MGS4は乱暴に要約すると「物語を終わらせる物語」だと思います。小島監督が明言しているように、「ソリッド・スネークの物語は本当にこれで最後」です。でもスネークというキャラクターは、ゲームをやった事がない人にさえよく知られているし、ゲームのキャラクターにしては個性が立ちすぎているくらいで、制作者ですらコントロール出来ないくらいに一人歩きしています。ゲームが発売された後、スネークの復活を望む声を時々見かけたし、制作者サイドもその部分でずいぶんと議論していたようです。*1「シリーズ物の新しい作品の障害になるのは、往年のファンである」と、どこかで見聞きしたことがあります。これだけ続いて来た物語を終わらせる事ができるのは、この物語を支持して来たファンの人たちだと思うのです。あとがきで作者は作家である以前にファンであることを告白しています。このエンディングは、物語の終了を受け入れたというファンの側からの応えなのだと思いました。
でもそれならゲームと同じように曖昧に描いて、殺さなくてもいいじゃないかとも思います。先にMGS4は「終わらせる物語」だと述べました。けれどメタルギアそのものが終わるという意味ではないんですね。小島監督曰くシリーズそのものは続けて行きたいということですし、次の新たな物語がメタルギアというブランドで語られるのでしょう。そのために今作では徹底してエピソードを完結させています。シリーズであるが故に次の作品が真っ白な状態で始まることができないのは自明ですが、それでもすべてを白紙に戻そうとしているんですね。だからなのかゲームのエンディングでは次の始まりは描かれていません。終盤、戦艦ミズーリ内でメイリン(艦長)に話しかける新人乗務員の声を小島監督自ら当てているシーンがあるのですが、これは「終わりと始まりは同じ」ということをベテラと新人にかけて表しているそうです。かろうじてこのシーンで始まりを示しているに留めているんですね。一方小説では、スネークというヒーローの活躍が、オタコンを通して、名もなき次のヒーローへと受け継がれて行きます。「終わりと始まり」を最初からこの小説は意図して描いているんですね。この始まりという希望をきちんと描くためには、徹底して終わらなければならない。スネークの死が明確に描かれた理由はここにあるように思うのです。尊敬する制作者へ、作家として真摯に物語ることで、ゲームではあまり語る事が出来なかったテーマに応えている。このエンディングは暴挙などではなく、ファンの一人であり、作家でもある作者だけが描く事が出来たエンディングだと思いました。

*1:2008/11/4 ヒデラジ「MGSシリーズ続編の話をしよう」