「屍者の帝国」(著:伊藤計劃)



未完であり試し書きだったそうですが、こうやって出版されたということは一つの作品だと思います。

彼の小説はすべて「冒頭に結末が現れている」そうです。*1それなら、この30ページしかない未完成の作品にももしかしたら、その結末の片鱗があるのかもしれない。でもこれまでの作品を読んで来て、冒頭に結末を見出せたことは。。。ないんですけどね。全然読めてないけど、なんとか自分なりに見出してみようと思います。
以下ネタバレを含みます。




まあ、本当に好きですよね。小島監督作品。初っぱなからスナッチャーとか言われたら、もうこれは突っ込むしかなんですが。他にも映画ネタやSFネタが投入される度に、にこにこしてしまいました。SF設定もちょうど良い感じに大袈裟で、また時代設定に合わせて設定をうまく広げてて(外挿?)、これだけですごく楽しいんですけど。て、いつもこうやってネタで満足してしまうから、核心の部分を見つけられないんだと思います。
物語は、フランケンシュタインの技術が成立し死者が労働の担い手として活用される19世紀のヨーロッパということなんですが、この技術そのものがまだ発展段階にある、という状況なんですね。労働って言ってるけど単純なことしか出来ない。技術的な制約があるということになってるのですが、でもこれはブレークスルーを迎えるんじゃないかと思います。それはすなわち、死者がまるで生きているように振る舞うようになるということ。この世に死者が溢れかえる世界。まさにタイトル通り「屍者の帝国」。彼らは外観では生きているか死んでいるか分からない。その辺と冒頭の小島監督作品のスナッチャーが自分の中で引っかかるのです。生きている人間の動作を完全に模倣出来たら、どうやって見分けるのかっていう。そうすると「ブレードランナー」のように、死んでいる者と生きている者の逆転現象が起るんじゃないかな、とか、「ダークナイト」が描いた混沌と秩序のように生と死が描かれたら面白いだろうなとか、思うのですが、きっと結末はこんな陳腐な想像を超えて行くはずだったに違いありません。
これは死が意味を変えつつある、あるいは決定的な一線を越えてしまった世界の話なんだと思います。生と死が曖昧になっていくとしたら、この二つを区別する事に意味なんてあるんだろうか。やっぱり分からない。ここに新たな視点を与えることができる作家を私は一人しか知らないのです。

*1:SFマガジン2009年7月号 飛浩隆氏「伊藤さんについて」