「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」



先日、映画を観る前に本屋に立ち寄って海外SFベスト200(?)という本があったので、何気なく手に取って自分がこれまで読んだ本の数を数えてみたら8冊しかありませんでした。たった8冊。。。10冊くらいはあるかなと思ったのに。


実はこの本、一度挫折しています。まだ、あまり翻訳ものを読み慣れていない頃にやっぱり同じように、「読んでおかなきゃ」と思ったのでした。でも、そういうのに限って読み終わっても、心に残らなかったりして。そういう意味では、あの時諦めて良かったのかも。で、今回読んでみて、やっぱりちょっと読み難かったです。翻訳ものだからというより、これ元の文からして独特なんじゃないかと思います。用語が難しいとか、今風の物語の展開とは違うとか、そういうのではなくて、どこか感情移入を避けているような、文体からそういうイメージを受けました。いや、でもちゃんと感情の描写はあるんだよなあ。だってSFなのに、いきなり夫婦喧嘩から始まるんだもの、この物語。しかも滅入るくらいにリアルなやつ。そうそう、なんだか嫌な感情移入ばっかりなのね。朝から奥さんの小言うるさい、とか、隣んちの馬羨ましいなあ、とか。いや、その気持ち分かるけど、物語の中でそういうの感じたくないわ、っていう。多分ここが、挫折した一番のポイントじゃないかと思います。でも、あとがきを読んでも分かるように、この感情移入が物語の一つのキーになっているんですね。て、この辺はそんなに詳しく書かなくても、読んだ人なら分かるはず。じゃあこの物語のどこにリアリティ(いつも語彙がなくて苦労すんだけど)現実っぽさ、現代の感覚があったかというと、失意なのかな。失意の感覚ってこんなに強いのかっていうのを、ラスト近くで主人公デッカードが真っ白に燃え尽きた辺りで感じました。失意、うーん、違うかな。結局、何もないんですよね、最後は。何もない。うーん、何もなくもないんだよなあ。何かはちゃんと残るんだけど、すごく虚しいんですね。その虚しさをここまでちゃんと描くという意図が、反転して何かを見せているようにも思えるし、どん底の虚無感を描きたいっていう執着のようなものも感じました。て、書くとなんだかすごくつまんない話だったみたいですが、全然そんな事はなかったです。感情移入を一つの指針として扱う世界観やそれを支える柱として登場する電気動物とか巧妙に取り入れてあって、この辺をうまく自分の中で意味付けできたらいろいろな見解が読めたりという、物語ならではの面白さはちゃんと楽しめました。SF的なガジェットや乗り物も古さは否めないけど、暗く閉ざされた未来観はとても良かったです。