「ドーン」

ドーン (100周年書き下ろし)

ドーン (100周年書き下ろし)



人間って生き物としての生と社会の存在としての生を二重に生きてて、それがあるから葛藤とかするんだろうな、と思います。生き物としての人間って有限なんですよね。そこにしか存在しない。でも社会的な存在としての人間って、いろいろ存在する。家族の中での「私」とか、会社での「私」、友だちと会ってる時の「私」。その拡散している「私」を矛盾なく一つの身体に収束できたら素晴らしいと思うけど、なかなかそうはいかない。それが葛藤だと思うのです。この本ではそういういろいろな『私』を収束するアイデアを提案していると思うのですが、これがすごく良かった。小説なんだけど、よく出来た啓蒙書ていうのかな。人生を見据える一つの枠組みが提示されているように思いました。


この枠組みのおおまかなアイデアをちょっと説明すると、個人に対応する分人という考え方がまずあるんですね。これはさっき言った社会的な様々な「私」その一つ一つのことを分人と呼んで、その分人で構成されている人格を個人と位置づけている。ちょっと本文から引用します。

「関わる人だとか、関わる物事だとかがあって、初めて分化する、自分の中のある一面で、そういう分人が、中心もなくネットワーク化されているのが個人だっていう考え方だよ。本当の自分なんてない代わりに、色んな自分をずっと駆け巡りながらものを考えてるっていう発想なんだ。」
(ドーン)

これまで個人を考える時って、トップダウンに捉えていたと思うんですよね。初対面の人に出会った時に、その人のこれまでの人生を想像する。何か一つの物語がそこにあるように考えていました。まあ、私は物語という捉え方が好きなので、人によっては川の流れだったりするのかもしれませんが。でも、分人というアイデアは逆の発想なんですよね。ボトムアップに人生を捉える。うーん、なんていうかな、その人との関係そのものだけが重視されるというのかな。その人がこれまでどんな人生を歩んで来たかということではなくて(それももちろん大事だけど)、その人といかに関係を結ぶか。それが自分の中でどういう風に組み込まれるかということの方が重要視される考え方。長く連れ添った老夫婦にはお互いの中に組み込まれた分人が存在して、それぞれの個人を形作っている、とかそういう感じ。この考え方の利点の一つは、本当の自分というものに囚われなくても良いというか、むしろそういう束縛を解放するために導入したようにも思えました。まあ、自分探しも悪くないですけどね。物語の中の米国大統領選挙戦のエピソードは、この両方のトップダウン的な見方(共和党)とボトムアップ的な見方(民主党)の対立を描いているんじゃないかな。上から俯瞰するだけじゃ細部が見えないし、下から見上げてみれば混沌としてて訳が分からない。そういう両者の長所や欠点が選挙戦という大イベントの盛り上がりの中で表現されてて面白いなあと感じました。
さて、じゃあ本当の自分というものがないとして、ちょっとそれはどうなのという疑問が出るはず。対面している人に笑顔で「本当の自分じゃないんでw」とか言われたらやっぱり不安だし、なんだか無責任な感じもします。でもそこら辺がちゃんとフォローされているあたりこのアイデアがよく考え抜かれているなあと思うんですよね。そう、いくら分人という考え方がすごいって言ったって、やっぱり身体は一つなんですよ。どうしても一つに集約される必要がある。その部分を引用します。

「人を好きになるって、…その人のわたし向けのディヴィジュアルを愛することなの?(中略)ひとりの人間の全体同士で愛しあうって、やっぱり無理なの?そこに拘るのって…子供じみた、無意味なことなの?」
(ドーン)

すごくよく分かる。物語の中で一番共感したのは、今日子でした。彼女は本当にごくごく普通の女性で、主人公の明日人の妻であり子供を亡くした母親なんですが、物語の中で明日人との分人を自分の中でどうにかしようとする姿が、この分人という概念を一番分かりやすいかたちで表現していたと思います。個人主義でも分人主義でも、誰かと生きて行こうとするのって本当に大変なことだと思うし、それでも自分の出来る限りどうにかしようとするシーンが切なくてとても良かったですね。
これ以上分人について書いてしまうとネタバレになってしまいそうなのでここで止めておきますが、こういう考え方も一つ自分の中にあってもいいなと思いましたね。
これだけのアイデアでもすごいなあと思うのに、実は他にもいろいろなテーマが盛り込まれているんですよね。本当に読む人ごとにいろいろな読み方が出来ると思います。私が拾ったのは、「間に合う」「取り返しがつく」というキーワードでした。ハリウッド映画がすごく好きなんですよ。あんまり考えなくても楽しめる、ヒーローが活躍する物語って、「間に合う」物語だと思うんですよね。ヒーローは(遅れても)間に合うから危機を救える。でも、普通の人はたいてい間に合わない。そして取り返しがつかない。主人公の明日人もそのことで悩むシーンが出てくるんですが、逆に言えば、間に合うから、損なわれるものを取り返せるから、ヒーローなんですよね。でもそういう「間に合う」物語は現実にはあり得ない。あり得ないなら、それとは違う間に合わせ方を考える事は出来ないだろうかということを、東アフリカでの戦争や震災のエピソードの中で描いているように思いました。


文芸って言う言葉を初めて意識しました。今回は一回目は普通に、二回目はじっくりと気になった文を引用に拾い出しながら読んでみたんですね。そうすると改めて文字を追って楽しませる芸があるんだなあと感じました。まあ案の定、すごく時間かかりましたけど。この本買ったの夏だよ…。


物語としては現代小説の部類に入ると思いますが、なかなかSFネタが良かったので言及しておきます。散影っていうとなんだか私はギブスンの「あいどる」とか「バーチャルライト」などの作品に出て来るようなネーミングセンスだなあと感じてしまいました。まあ、これは現代のグーグルストリートビューの延長なんでしょう。設定だけに留まらず物語の中でテーマとなっている分人と強い関連性を持たせているあたりとても面白く読めたのですが、やっぱりSFではないので活躍の場があまりなくてちょっと物足りなかったですね。それと添加現実(AR)も物語の中では装置としての役が明確で素晴らしいなと思たんですけども、なんとなくきちんとしすぎてやっぱりちょっとつまらなかったです(笑)SFガジェットは携帯みたいに「そこらへんに転がっている何気ないハイテク」という雰囲気が好きなんですよね。


あとどうでも良いんですが、しおりに2033年までの火星をテーマにした映画のタイトルが並んでいる中に、「ゴーストオブマーズ」入ってなくてがっかりしました。マーズアタック!は入ってるのに、なぜ…。