「アサルトガールズ」



今年はもう少し日本映画を観ようと思っています。が、この映画が日本映画だと胸を張って言えないような気がするのは何故(笑)


観始めてすぐに、これはあまりいい評価はされないだろうなあと思いました。アニメーション映画の監督で知られる押井監督の実写映画は総じてあまり高い評価は得ていない印象があるのですが、この映画もそういう感じでした。


なぜこの映画が良い評価を得られないかというと、この映画、すごく展開が遅いんです。最近の映画やドラマを観ている人ならまず耐えられないほどのスロー展開。実際、私も途中でちょっと飽きそうになりましたし。例えば登場人物が歩いて画面外に退場するまでのシーンをわざわざ丁寧に描いて、しかもそのシーンにはそれ以上の意味はないんです。たったそれだけを表現するのにたっぷりとした時間をかけている。実際は分からないけど体感的には二倍くらいの遅さ。恐らくこの映画のストーリー部分だけを抜き出したら、20分くらいで終わると思うんですよね。そりゃあ役者さんの演技の間とか心象風景の演出で、一つのシーンをじっくりと描く映画はたくさんあるけど、この映画はどうもそうではないような気がしました。なんて言っても押井守監督ですからね。
(私の概算で)20分で終わる映画をほとんど3倍にまで引き延ばす理由は何だろう。それは鑑賞に堪えられる限界まで薄く伸ばされた時間、「物語の希薄」を表したかったんじゃないかなと思います。
ちょっとこれまでの押井監督の作品を挙げてみます。あまりちゃんと観てない方なので、熱心なファンの方からはつっこまれるかもですが。
パトレイバー1では、事件の真相となる中心人物が始めから除かれているという、「関係の中の真空」が描かれていたんだと思うんですよね。あの存在感のある不在には本当にびっくりした覚えがあります。これは人の繋がりの中に発生する空虚を表現した映画だと思っています。そして「イノセンス」では、伊藤計劃さんの批評(SPOOKTAILのCINEMATRIX内「イノセンス」)にあるとおり、身体の真空という意味で人形を殻として捉えた作品なんでしょう。*1この2作品が人との間の真空、身体の真空、だとするとこの映画は時間的な真空を描いているんじゃないだろうかと思うのです。映画は、特に実写は、「なにもない」を撮る事が出来ません。何かしら有限のものを配置して、それを組み合わせて「なにもない」を表現するしかないんでしょう。限りなく薄く薄く伸ばされたベールのような希薄な物語に包まれている真空こそが、この映画のなかで本当に観るべきものなのかもしれません。そしてその真空に、私は息苦しいけどどこか心安らかなものを感じましたね。うーん言葉にするのが難しいけど。


この映画が監督の実写前作の「アヴァロン」と世界観を共有しているのは冒頭でも表されているし、本当ならそことの関連を観るべきなのかもしれません。でも、(パトレイバーはちょっとわからないけど)「攻殻機動隊」と「イノセンス」との対比のように、この映画は「アヴァロン」との対比として配置されているように思いました。と言いつつも「アヴァロン」の内容がちょっと思い出せないのだけど。


まあそんな訳ですが、個人的にはゆっくりと流れて行く雲の描写や、荒野を行くおっさんゲーマーの背負った鍋が奏でる鐘の音のような音、ガールズたちのどことなく心許ない美しい横顔とか、いつも観る映画とは違う見どころがあって面白かったです。それと川井憲次さんの楽曲もすごく良かったし。ガールズでは菊池凛子さんが一番かわいかったですね。彼女はオフでは本当にカラスなんじゃないだろうか。どっかの研究所で高度に脳が発達して人間とコミュニケーション取れるようになってしまった実験用のカラスとか、そんなどーでもいいことを考えてました。あと、押井監督作品には欠かせない、犬とモチーフの繰り返しがきちんとおさえてあって良かったです。

*1:この批評の中の「攻殻機動隊」との対比は本当に的を得ていてすごい