「渇き」



まったく予想しない映像が目に飛び込んで来た時、つくづくその映画を観て良かったと思います。感動が前もって提示されている物語は、それはそれで好きだけれけど、何かに感動するということは、心がどう動くのかがまったく分からないからこそ深くなるのではないでしょうか。普段感じることのない、得体の知れない心の動きを感じた不思議な映画でした。


映画を観る前にちょっと時間があったので、映画館のロビーに張り出されていたパク・チャヌク監督のインタビュー記事をちょっと読んでみました。監督によると性と暴力の融合を描こうとした作品ということらしいのですが、私は身体の自由を描いた物語のように思いました。
他者との物理的、破壊的な干渉という点で性と暴力は同じものだと思っています。そしてそれを映像として切り取ることにも、この映画は成功しています。サンヒョン(神父)とテジュ(人妻)の激しいセックスのシークエンスだけでなく、二人の間で交わされる視線の中にもその獰猛さと衝動が表れています。劇中に互いの血を与え合うシーンがあるのですが、これは自らの命を相手に差し出すという美しい見方の一方で、相手を自分の色に塗り替えてやろうという暗い欲望も垣間見えます。これはそうやって与奪しながら融合し堕ちて行く物語なんだと思うんですね。
それではその融合はどこでどのようにして行われるのかというと、堕落という自由落下の中ではないかと思います。性も暴力も身体という下の階層の衝動です。そこから落ちないように防いでいるのが上の階層の道徳とか常識といった意識です。そういう身体の抑圧を解放する手段こそ、性と暴力なんですよね。それを手に入れた時に人は堕ちて行くのですが、同時にその抑圧から自由にもなるのだと思います。その自由を前身で享受するテジュは寒気がするほど美しく、堕落の先に待つ着地点の悲劇と罪の意識に囚われるサンヒョンの苦悶は被虐趣味的な魅力で溢れています。
これは、人は自らの身体に堕ちるということに対して、臆することなくその領域に踏み込んで行く映画なのだと思いました。


最も秀逸と感じたのは、冒頭のサンヒョンがリコーダーを吹きながら吐血するシーンでした。白壁に鮮血の赤という組み合わせの美しさも素晴らしいんですけど、真っ赤な血がリコーダーの穴からどぼどぼーっと吹き出して来た時に、なんだかよく分からない感情が沸き起こって来て、こういう類いの「心が動く」ということもあるんだなあと不思議な気持ちになりました。笑うには温度が低くて、哀しむには淡白すぎる、そのぎりぎりのころをこの監督はよく攻めてきますね。
それと義母の顔をアップで撮る神経が素晴らしいなと思いました。この義母の顔が妙に心をざわざわさせる狂気を孕んでいて、それを物語のバランスを崩すか崩さないかのぎりぎりまで挿入してくるんですね。こういう敢えて神経を逆撫でするカットを限界まで盛り込むというチャレンジングな心意気と、カオス化しそうなバランスを保つ繊細な感覚は本当にすごいなと思います。