「Heavy Rain 心の軋むとき」



PS3のゲームを久しぶりにやってみました。普段Life with Playstationしか稼働してないし、もったいないわ。


物語は、二人の息子の父親であるイーサン、ジャーナリストのマディソン、私立探偵のスコット、FBIのノーマンの4人の視点で、折り紙殺人という子どもを殺害し現場に折り紙と蘭の花を置く猟奇的な連続殺人事件を追うというもの。一つの事件を複数の視点で物語を織り上げて行く手法は、特に目新しさは感じなかったです。他のゲームもあるしね。でも、アドベンチャーゲームの面白さである、その場を探索して発見する楽しみはきちんと踏まえられていて良かったです。で、これまでのアドベンチャーゲームって、深く探索するゲーム的な部分と、ストーリーの展開部分との間に差があったりしたと思うんですよ。例えば事件のヒントになるものだけ調べればいいんだけど、全然違うところも気になって時間かけて調べちゃったりするんですよね。いや、そういう重箱の隅を突く楽しさこそアドベンチャーゲームなのかもしれないけど、やっぱりストーリーも楽しみたい。そういう面では、このゲームは一つのシーンの中できちんと時間が流れて行くので、あまり時間をかけて調べるというよりは、時間の進行に合わせてすばやく必要なものを発見するというアクションに近い感じのゲームでした。例えば、私立探偵のスコットが事件の手がかりを求めて知り合いの時計屋に立寄り、そこで思わぬアクシデントに遭遇します。早く自分が付けた指紋を拭き取って店を出ないと警察が来て面倒なことになってしまう。時間が経つにつれて、外からパトカーの音がだんだん近づいて来て、しばらくすると分割ビュー(24と言えば分かるかな)になって、新たなビューでは警官が店の表に到着して…。と、このような感じで状況が次々と変わって行くので、アドベンチャーだからとゆっくりじっくり腰を据えて向き合う感じじゃないんですよね。突然敵に襲われてびっくりしてお茶こぼしたし。こういう時間が流れて行くという感覚をうまくゲームのに取り込んで、物語の展開へとリンクさせる部分がとてもスムーズなんですよね。普通ゲーム中だと、操作している時からデモに移行する時ってやっぱりキャラクターの位置や行動が物語の方へ、強制的に補正されるんですが、そういう操作ーデモの移行が自然なんですよ。まあ、ちょっと無理な所もありますが、それはこのゲームは操作を物語に合わせるという、物語主導の新しいタイプのゲームなんだと思います。


物語の方は、ネタバレするとまずいお話なのであまり詳しくは書きませんが、イーサンの視点が一番興味深かったです。イーサンはどこにでもいる、普通の父親なんですよね。
これ、ちょっと珍しいというか、なかなか居ないですよ。息子の壁にも盾にもならない、ただの父親というヒーロー。最近のCMとか観てると、本当に「父親」そのものが存在していないんですよね。車のCMなんかでも母親と息子しか出てこない。ドラマの方はよく分からないけど、父親の存在そのものを見えないものにしようとしているようなそんな気がします。でもそんな訳がない。子どもには必ず父親が居るんですよ。それがどうであれ。そして彼らは彼らなりに、父親であろうとしているのでしょう。子どもと一緒に遊ぶこと、子どもの安全を考えること、私にはどういう行動原理がそこにあるのかよくわからないけれど、「パパ、がんばっちゃうぞー!」という気持ちになんとなく共感できたような気がします。
それとキャラクターは電脳捜査官のノーマンが一番好きでした。ていうかこのキャラ、モルダー捜査官にどことなく似ているような気がしたんですが。AR(拡張現実)を使った斬新な操作方法の割には、どっかで見たような(笑)サングラスと黒い手袋タイプのデバイスというオールドスタイルがぐっと来ました。「JM」という原作(小説)はとてもクールなのに映画にしたらB級になってしまったという素敵な映画があるのですが、この中でキアヌ・リーブスがまんまノーマンと同じことやってるので、ここにぐっときた希な人は是非観てみて下さい。