「グラーグ57」

グラーグ57〈上〉 (新潮文庫)

グラーグ57〈上〉 (新潮文庫)

グラーグ57〈下〉 (新潮文庫)

グラーグ57〈下〉 (新潮文庫)


ネタバレはないと思いますが気になる人はご注意を。

前作は、「完璧な社会では殺人は起らない」という共産主義の幻想の下にある旧ソ連国内で起った子どもの誘拐殺人事件を、主人公レオは国家保安省の職員(諜報員)という立場から犯罪者へと転落しながら困難のなか真相にたどり着き、運命的な決着を迎えるという、まさに怒濤という言葉が相応しい物語でした。犯罪者として追われるという厳しい制約の下で展開されるアクションやミステリー部分は、あたかもこういう架空のゲームのノベライズではないかと思ったくらい。今作はミステリー部分が少なく、どちらかというと冒険小説的な展開が多くて、前作とはまた違う興奮が味わえました。

前作は、ゲームのように制約のある状況下での個人の人生の獲得のお話だったと思うんですね。この物語の主人公レオという男は、過去から断絶された人生を送っていたのですが、過去を持たない人間などいるはずもなく、いつの間にか過去は背後に立ち、向き合わざるを得なくなってしまう。そうして向き合った時に、この主人公は過去と自分自身の罪を得たのだと思います。ちょっと抽象的な言い方になってしまいましたが、ネタバレすると面白くないしね。今作は、その制約そのものが反転した状況下での、個人の耐久性のお話だと思うんですね。この構造の反転を思いつくとは。普通、主人公が前作よりも過酷なアクションに挑むなら、もっと強大な敵やら組織やらを出せばいいんですよ。ただ、この構造の終着点は主人公が最強になった時点で終わってしまうのですが。ところが、主人公が所属する構造そのものを反転させたら。今まで弱かった人が脅威となり、今まで頼りにしていた権力は弱体化する。そういう危機の作り方というのがとても新鮮でした。その危機の現れの一つが拷問なんですね。この物語、やたら冒頭から「拷問」を強調していて、まあアクションに拷問シーンがあるのは好きですけど(笑)、これはそういう単なる盛り上げのためのイベントとはちょっと違うのではないかと思いました。ここで表現されている拷問の意味は、権力の構造がひっくり返ったと同時に、それまで国家に属していた罪が個人に還元され、個人に与えられる罰としての意味があるんですね。実体を持たない国家よりも個人という具体的な存在に対して与えやすいというのもあるかもしれません。その罰にいかに耐えきるか、個人として国家の罪をどれだけ享受できるか、それがこの物語の主軸のように思いました。
ただ、そういうひたすら禁欲的に受け身であることも、罰を個人に還元することも、この物語はさりげなく否定しているように感じました。

怒りが冷めるにつれて気持ちが萎えた。といって、それは後悔のためでも廉恥のためでもなかった。復讐心という何より強い感情が体から抜け出たあとの疲労だった。
トム・ロブ・スミス著 グラーグ57(下)90P」

復讐も拷問とセットで重要なキーワードとして物語には登場しますが、罰を与えることの難しさをこの部分は指し示しているんじゃないかと思いますね。
そしてもう一つは、家族という最小単位のドラマと、国家という大きな枠組みをシンクロさせながら、幻想からの脱却というものを描いていると思うんですね。前作でも、妻のライーサとのやりとりから、レオは一度はそういう幻想から脱却しているように見えます。作中でライーサも「彼は変わった」と何度も言うのですが、今回の物語ではどうやってその変化を認めてもらうのか、というのがテーマだったと思います。それがフルシチョフによるスターリン批判(この部分はフィクション)と、レオの家族の不和という部分にかかってくるのでしょう。国家が変わっても人々はそれを容易に信じたりしないのと同様に、一度傷ついた心はなかなか開いてくれない。それでも、「変わったんだ」と証明し続けなければならないということを、レオは身をもって示すんですね。あたかも国家そのものがそうしているかのように。
それにしてもこのハンサム(笑)が前回以上にタフな状況にも関わらず、頑張る姿には本当に胸が熱くなりました。今回一番盛り上がったのは、迫撃砲を交わしながらのドライビングアクション。前作もゲーム的なアクション(囚人を運ぶ列車からの脱出とか)があったのですが、今回はこれが最高にわくわくしました。やっぱりこの作品、架空のゲームのノベライズのような印象なんですよね。極寒の収容所に潜入とか本当にやってみたい。いやーどこかプロダクションさん作ってくれませんかね。
ちなみに主人公レオはクリスチャン・ベールで、ライーサはアンジェリーナ・ジョリーで脳内映画上映してました。寡黙でレオの親友でもあるネステロフは、ラッセル・クロウで。そしてフラエラという、ギャングのリーダーを務める強く男性的な女性は、もうザ・ボスにしか思えなくて、井上喜久子さんの声で変換して読んでました。最近、こういうかわいそうな機能が進化したようです。