天冥の標1 メニー・メニー・シープ

西暦2803年、人類は宇宙に進出し生態系を広げていた。そんな植民星の一つメニー・メニー・シープで暮らす医師セアキ・カドムはある朝、地元セナーセー市の実力者一家<海の統一>(アンチョークス)の少年アクリラ・アウレーリアに呼び出される。街で原因不明の病人が出たという。やがてそれは市全体を巻き込む混乱へと発展し、意外な真実がカドムの前に立ち現れた。

この作品は紛れもなくSFなのですが、世界感を楽しむという面ではむしろファンタジーの面白さを感じました。例えば<海の統一>(アンチョークス)の人々の美しい容姿だとか、ドラゴンにも似た怪物、咀嚼者(フェロシアン)の登場、不可思議な建物に住んでいるアーティスト集団の恋人たち(ラバーズ)など、異なる世界のイメージが丁寧に織り込まれていました。それでいて安心して没頭できたのは、その基礎にはがっちりとSFが仕込まれているからなんだと思います。また、そういう異世界への導入に凡庸なキャラクター(カドム)を用意したり、まるでこの星の教科書のように簡潔にまとめられた歴史の記述だったり、何気ない情景がとても想像力に溢れていて素敵でした。私は本を読むのが遅いのですが、その原因の一つはいちいち細かくイメージしながら読むからなんじゃないかと思うんですよね。そういう意味ではたっぷり想像しがいのあるシーンがたくさんあって楽しかったですね。いいなと思ったのは、星の名前の由来でもある、たくさんの羊たちが放牧されているシーンでした。ちょうど旅行していた時に車窓から似たような風景が見えたのでより印象的でしたね。それでいて、SFならではの理(ことわり)を積み重ねた設定がこと細かく及んでいて読みながらすごく感心してしまいました。車や船といった乗り物だけでなく、建物など人々の生活を取り囲む品々、それに都市の成り立ちや引いては星そのものまでが、きちんと一本の硬い芯を持っているようなそんな感じがして、白々しさというのはなかったですね。こういうしっかりした世界感だとまるで旅行してるように思えて好きです。
一方で世界の全容が巧妙に隠されていて、その世界をキャラクターたちが手探りで見つけて行くという冒険小説としての面白さもありました。<海の統一>(アンチョークス)のアクリラの冒険もそうですが、世俗の建前に疑問を抱く新米議員エランカが自分の力で少しずつ世界を知って行く、その驚きや絶望、そして様々な出会いがもたらす喜びや希望がとても瑞々しくて楽しかったですね。

物語は、それこそ「歴史の教科書」のような正史をドラマチックに詳細に綴って行くという感じでした。が、まさか最後に闇の歴史となろうとは。いやあ、上巻の最後の方でそこはかとなく不穏な空気は感じたんですけどねえ(笑)やっぱり、ここで「表」だけで終わってしまっては、この後が続かないわけでこの後「裏」がどうなっているのかとても気になるところです。しかしまあここまで後味が悪いとなにか割り切れましたね。この作品内で張られた伏線はこれから先の続刊で追々回収されて行くだろうし。個人的には石工(メイスン)の正体と恋人たち(ラバーズ)と咀嚼者(フェロシアン)の関係がとても気になるところです。
良かったシーンは、恋人たち(ラバーズ)のベンクトがエランカにバイオリンを弾いて聞かせるシーン。この直前までエランカの側にあった複雑な感情が氷解するという重要なシーンでもありますが、同時にベンクトという個性がこの時初めて承認された瞬間でもあるんですね。物語上の重要さもありながら、満天の星空の下、たった二人だけのコンサートというイメージが幻想的で素敵でした。

ていうか、これアニメ化とか漫画化しないのだろうか。牧歌的なイメージも素敵だったけど戦闘の迫力はすごいものがあったし画で観てみたいなあ。