塔の上のラプンツェル

昔々、あるところに誰も知らない塔がありました。その塔には髪の長い長い女の子が住んでいました。ラプンツェルというその女の子はお母さんからその塔から出ることを禁じられ、毎年誕生日に夜空を埋め尽くすランタンをいつか近くで見たいと願っていました。そんなある日、盗賊のフリンは偶然その塔を見つけました。中に女の子が住んでいるとも知らず、フリンはその塔を登っていきました。

「昔々」からはじまるおとぎ話を現代で語るのは難しいと思うんですね。みんなその話を知っているから。昔は語り部によって情感豊かに語られ、人々の心に何度も焼き付けられてきた物語は、今はディスクに焼き付けられ何時でも何度でも再生することができます。物語の新鮮さ、というのはとうの昔に失われているんですね。だったらこのラプンツェルの物語も、物語自体の新鮮さはないはず。それでもこの物語は面白かったんですよ。それはなぜかというと、一つは物語の構造そのものを大きく変えてしまったからだと思います。この映画は、冒頭でラプンツェルの身に何が起きたかをざっくりと語ってしまいます。なぜラプンツェルの髪は長いのか、誰も知らない塔で暮らしているのか、そういうことが最初に提示され物語の概要を伝えてしまっているんですね。これって「カールじいさんと空飛ぶ家」でも同じ手法を使っていました。そしてこれは逆に言えばネタバレが台無し(スポイル)になり得ないと保証されているようなものなんじゃないかと思うんですよ。だって誰でも知ってるでしょ、って。
で、この手法を使った映画というのは、どうしても演出で個性を出さないといけないというか、これはまさに演出勝負のやり方なんじゃないかと思います。そこでこの映画では、これまでの典型的なディズニーおとぎ話に揺らぎを加えたキャラクター像を設定したんじゃないかと思うんですね。主人公のラプンツェルは、天真爛漫、世間知らずで夢見がちなプリンセス型キャラクターに加えて、自分の判断に自信が持てなかったり、気持ちを殺して母親の言いなりになることに安堵を覚えたり、かなり揺れを見せるキャラクターになっています。盗賊のフリンもクールでスマートなヒーローではなく、かなり現実的な感覚と野心とを持ち合わせているんですね。そしてこの映画で私が一番感心したのは、母親像の描き方でした。娘を塔に閉じ込める悪い母親、という部分を基本としているのですが、この母親の言っていることはあながち間違いではないんですね。外には危険がいっぱいで、悪い男に騙されるよ、というのはこの映画ではほぼ正解なわけです。もちろん、この映画ではラプンツェルの母親からの脱却というのがテーマの一つでもあるのですが、それにしては母親像の演出がゆるいなあと思うんですよ。外に出たいと打ち明けるラプンツェルを諭す優しさ、ラプンツェルが塔を抜け出した時に見せる母親の必死さ、そういう部分にはどこかごく普通の愛情があるように思いました。
そしてこれは「めでたしめでたし」で終わるべき物語なんですね。ここまでキャラクターに揺らぎを持たせておきながら、それがしかるべきディズニー的ハッピーエンドに向かうというのはすごく面白かったですね。
あと個人的には馬のマキシマムが好きでした。最初からなんかキャラ立ってるな〜と思っていたらすごく大活躍でしたね。後半のお城での大ジャンプが良かった。それとランタンが夜空を埋め尽くすシーンは、映画「アラジン」のホールニューワールド以来の感動でしたね。あれは良かったわあ。