天冥の標3 アウレーリア一統

天冥の標 3 アウレーリア一統 (ハヤカワ文庫 JA)

天冥の標 3 アウレーリア一統 (ハヤカワ文庫 JA)

連続SFシリーズの第3巻。ちなみにこのシリーズは10巻まで続くそうです。

人類が地球外に進出し、小惑星帯に居住しながら多様な生活・文化形式を持つ時代。致死のウィルス保持者として人類から忌み嫌われる救世群は60年前に発見された謎の遺跡ドロテア・ワットの場所を示す報告書を手に入れるも、海賊組織に奪われてしまう。海賊討伐を任務とする宇宙戦艦エスレルの艦長アダムス・アウレーリアはその文書を奪還するべく、正体不明の海賊組織を追う。

おーおー広げてる広げてる。大風呂敷を貴婦人のスカートのように(笑)というのはまああながち冗談でもなく、1作目メニーメニーシープがテレビアニメのシリーズで、2作目救世群がテレビドラマの映画版だとしたら、今作はアニメの劇場版という感じ。女装大好きな美少年が宇宙戦艦を駆って騎士団と共に闘い、おとぼけキャラが飄々と戦場をすり抜けてお宝を目指す、というこれまでの流れとはまた打って変わってかなり浮かれた派手なプロットなのですが、めいっぱい広げまくっててもぎりぎりシリーズ全体のベースラインを保持しているように思いました。
だって宇宙航海時代になんでヤマトみたいに砲撃戦じゃなくて敵戦艦に乗り込んで肉弾戦なのか意味が分からない(笑)けど、宇宙に最適化された人体が無重力空間をひらりひらりと舞いながら戦うイメージが面白かったのでいいです。
物語全体はキャラクター小説を指向しているようで、女装好きの美少年アダムスの登場に、おおこれが噂の男の娘かと思って読んだのですが、あまり私の嗜好には合わないようでした。うーん、これが男装の女子とかなら宝塚っぽくて楽しめるのに。あ!これ宝塚で上演したらすごく面白いんじゃないかって唐突に思いました。もちろんアダムスは男役の方で。
まあそれはいいとして。このアダムスの外見の少女性と内面の男性性が今回の話の中心となるところではないかと思いました。アダムスがなぜ女装なのかというと、彼が属する<酸素いらず>という人体改造をした人類の亜種の人々は、同性愛が比較的多い人種ということで彼自身も同性愛者なんですね。で、パートナーが主に男性の役割を担っていて、それで彼は少女の格好をしている。でも、私が少女性ということを考える時、もうちょっと違うふうに考えます。たまにすごくかわいいおばあちゃんっていますよね。幼い女の子の中にも、おばあちゃんのなかにも同時に存在し得る、気持ちの在り方、恥じらいや悲しみ、喜びの感じ方の一定の形式のようなもの。そういうのが少女性なんじゃないかなと思います。そういう意味では彼の少女性が、少女趣味とどう違うのかがちょっとよくわからなかった。でも、彼が担っているのが外見の少女性だとすると、内面の少女性を担う人物が二人存在しているように思いました。一人はちょっとネタバレするので伏せますが、もう一人は戦艦エスレルそのものだと思います。一般的に船は女性に例えられるように、この戦艦は女性です。この物語は二人の少女性を混ぜながら、アダムスと戦艦エスレルの成長を描いているように思いました。アダムスは自身の少女性が男性性に置き換わって行くのではなく、その少女性が徐々に脱ぎ捨てられて行くんですね。そしてその外見を現しているのが、戦艦エスレルの外装の変化じゃないかと思います。彼の一面の男性性の確立と同時に変化して行く少女から女性の変化をこの戦艦に担わせている。後半の戦艦エスレルの外装は淑女というよりは妖婦に近いイメージがあるんですよね。そうやって二人で一つの少女性を共有しながら変わっていく。かなりユニークでありながらも納得できる基盤がしっかりした上で個人の成長を描いているように思いました。

ところで次巻がそうとうアレだという噂を聞きましたが、どうなんだろ。ごくり。。。

!!! ネタバレ !!!




もう一人の少女性を持つ人物は、デイム・グレーテルという老女だと思います。終盤で彼女とアダムスは戦うことになるのですが、これがおじいちゃんだったら父を越える、という主題になるところなんですが、相手がおばあちゃんということで、この戦いの意味合いがエスレル争奪戦のように思えました。小さな女の子が「これは私のお人形よ!」って奪い合ってるみたいな感じ。