フィリップ・K・ディック短編集

意識や現実の不確かさを主に題材とする作家、P・K・ディック。なぜか映像化されることが多くて気になってました。長編をいくつか読んだだけで、暗い作風の作家かなと思っていたのですが、意外にもパロディもあって面白かったです。その2冊の短編の中から特に「おっ」と思ったものを上げてみます。

短編集「マイノリティ・リポート」から

マイノリティ・リポート―ディック作品集 (ハヤカワ文庫SF)

マイノリティ・リポート―ディック作品集 (ハヤカワ文庫SF)

スピルバーク監督作品で映画化された作品。ん?映画の方ちゃんと最後まで観てたかどうか定かじゃないな…。短いページ数の中に、「プレコグ(予知能力者)」「犯罪予防局」などのSFネタをきっちり入れながら三人のプレコグが予知する未来のズレをみごとにミステリーに絡めて物語を盛り上げててすごく面白かったです。犯罪予防局というのは、プレコグが予知する情報を元に予め犯罪を予防する警察機構なんですが、犯罪が起る前に逮捕してしまえ、という発想なんですね。そうすると「起らなかった犯罪は罪になるのか?」という変な矛盾を抱え込んでしまう事になります。予防局によって逮捕された人は実際に犯した罪ではなく、起こしていない罪に対する罰を受けている。その目的がすぽっと抜けてしまったまま形式だけが存在する不思議さがSFらしいなと思いました。
映画の方は…どうだったかな。主演のトム・クルーズが眼の手術をした後、まだ見えないまま冷蔵庫の腐った牛乳を間違って飲むところしか覚えてないです。(そしてそこはあまり重要じゃない)

  • 水蜘蛛計画

失敗続きの人類移住計画をなんとか成功させる為に移住局の面々は、過去に戻って今は絶滅したプレコグの知恵を借りる事となった。
SF作家は有名な人しか知らなくてもなかなか面白かったですね。SF界の内輪ネタ的なお話。

  • 安定社会

安定した社会の実現の為に、新しい発明や発見をせずに成長しないことを選択した世界。その世界でベントンはある発明品を手に入れる。
社会というものにまだ存在感が感じられる時代の作品だなあと言う印象です。社会主義社会、資本主義社会、安定化社会。そういう概念をすごく手軽に扱えるガジェットに包み込んでしまうところが面白かったですね。んで、この作品実は人間の創造性に関するお話じゃなくて実はタイムトラベルのお話だったり。ちょっと「???」な感じがありましたがなかなか良かったです。あと最後の労働者が列をなすイメージは映画「メトロポリス」(だったと思う)の有名なワンシーンかなあ。

  • 追憶売ります

ダグラスは火星に行ってなにか成果を上げたいと熱望する安月給のサラリーマン。あまりに強い願望のため、彼は現実感のある記憶を移植するリカル社で火星でミッションを行った政府のスパイとしての記憶を「買った」。さっそくその記憶を植え付けたダグラスは、しかし本当の記憶と移植した記憶とが混在していく。
映画「トータル・リコール」の原作。映画の方は、確か主演のアーノルド・シュワルツェネッガーが鼻からなんかでかいピンポン球みたいなのを出す(入れる?)シーンしか思い出せないです。(そしてそこはあまり重要じゃない)
ディックと言ったらこの現実と夢とが混在して訳分かんなくなる奇妙さが醍醐味じゃないかなと思います。しかもこの作られた記憶を外部から挿入する手法、記憶という一つの概念が小道具(ガジェット)として扱われるなんてコンピュータ工学の発想に近いんですよね。実際に人間の記憶はかなり身体に根付いていてそうそう簡単には入れ替えできないと思いますが、前に読んだ「操作される脳」という本の中ではトラウマとなるような記憶を軽減できるっていう話もありました。ディックは薬物依存を経験している作家でもあり、そういう体験の中から記憶を操作するという発想を得ているように思います。1966年の作品じゃあコンピュータはまだまだ一般に普及していないしね。でも、コンピュータ工学を基礎とするサイバーパンクは、このディックの発想も源流にあるように思いました。
物語は記憶が記憶を呼びなんだかとんでもない所まで行ってしまう大風呂敷がすごく面白かったです。

短編集「アジャストメント」から

  • アジャストメント

順風満帆な生活を送るエドはある朝訪問して来た販売員に時間を取られ仕事に遅刻をしてしまう。ありふれた些細な出来事だったが、急いで出勤した会社のオフィスでエドは凍り付いた時間の中で慌ただしく動き回る不審な人たちを目撃する。その日からエドのまわりで不可解な出来事が起こり始めた。
マット・デイモン主演の映画「アジャストメント」原作。ディック作品ってネタやキャストの名前だけが採用されてあとは完全オリジナルなものってあるんですけどこれはそのタイプですね。まぬけな犬が出て来ない(笑)
プロジェクトの中で小さい事だけど意外と重要なポイントになってしまうことってあると思います。旅行の計画で交通手段はいろいろあれど、この飛行機じゃないと時間のやりくりが上手いこと行かないとか。そういう点に立たされた人間の物語。映画では映画「バタフライエフェクト」のような運命というものをなんとかしようとする醍醐味が描かれていますが、短編の方はちょっぴりブラックユーモアのあるものに仕上がっていて思わず苦笑いでした。

  • にせもの

襲来する外宇宙人と戦う世界でオーラムは他の人々と同様に戦争のための研究開発に従事していた。そんなある日オーラムは地球に紛れ込んだ外宇宙人だと嫌疑をかけられ追われる事となる。
短い中に追われる主人公の緊張感がぎゅっと詰め込まれた作品。逃亡しながらもなんとか活路を見出そうとするオーラムの奮闘ぶりとネタ振りが見事でした。ディックのもう一つのテーマでもある人間とアンドロイド(外観を人間に似せて作られた機械のこと)を並べる事で見えてくる、人間という存在の不確かさもきっちりと描かれていて、さらに最後のオチが最高。途中で予測がつくけれどきちんとそこに落としてくれるのが良かったですね。映画化されているらしいので今度観てみようっと。

  • くずれてしまえ

ビルトングという物質をコピーする事ができる生物に頼り切っている人類は、しかしビルトングの老衰により物質の枯渇の危機に直面していた。
この作品の中の言い回しで、劣化したコピー品がざらざらした灰になって崩れて行くことを「プティング化」って言っているのがなんだかぐっときました。有名な長編「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」のような暗い未来観に覆われていながら、一抹の希望を描いて終わるこの作品。オリジナルとコピーという現在でも時々問われる、「モノを作る事の問題」にディックなりのアイデアを込めて描いているように思いました。

  • おお!ブローベルとなりて

作品の中でブローベルという半液状の宇宙人に変異してしまう主人公が、ブローベル化した時にぐにゃぐびゃしながら「うにゃあ」と言ったのが良かったです。私も毎朝ブローベル化してます。うにゃあ。

  • 父祖の信仰

国家公務員のトンはある日上司から、人民の思想に反する人物を抽出する試験の内容を精査するように命令される。しかしそれは他ならぬトンを精査するためのものだった。その試験内容を適切に判断できなければトンは異端者ということになってしまう。その窮地を救ったのはミス・リーという女性だった。彼女は密かにこの国のトップである「人民の絶対の恩人」の正体を見極めようとしている一派の人間だった。彼女は正解をトンに教える代わりに、もしトンが人民の絶対の恩人と面会する機会があればその正体を突き止めて欲しいと願い出た。
「1984年」のビッグブラザーならぬ、人民の絶対の恩人という感じではあるものの、「1984年」のような強制的に作成される現実ではなく、作品中の言葉にある「一つの幻覚と十二の現実」という希薄さが印象的でした。現実というものを突き止めようとすればするほど、その実体は玉ねぎのようにどこまでいっても代わり映えのしないものが立ち現れてくる。そのどこまでも続いている薄く引き伸ばされたもの、そういうものがここに描かれているような気がしました。少し読み解きが難しいなと思いましたがけっこう楽しめましたね。

  • 人間とアンドロイドと機械

小説ではなく評論でした。ちょっと難しくて内容をうまくとらえる事が出来ませんでしたが、ディックのテーマのほとんどはここに凝縮されているように思います。アンドロイドとは何か、夢とは何か。うーん、でもやっぱり物語として表現されていた方が好きだなあ。あと、ル・グィンの「天のろくろ」という作品がすごく引用されていたので読んでみようかなと思いました。

なぜディック作品は映像化されるのか
映像作品と原作を比べると、必ずしも原作に忠実ではない作品の方が多いんですよね。とすると物語の内容というよりも、そのアイデアが映画向きということなのかなと思います。「アジャストメント」の調整班だったり、「マイノリティ・レポート」のプレコグだったり。SF的なアイデアにあるイメージが映像作家を刺激するのではないかと思います。映像的に面白そうだなと思ったのは、「電気蟻」。これ巻末の解説ではテッド・チャンの作品のモチーフにもなったとか。自分自身を分解する機械って絵的に面白いんじゃないかなと思います。人間でこれをやってるのは、漫画「ブラック・ジャック」だけど、あれはすごく痛そうだったな(笑)