アジョシ

貧しい集合住宅の一角で細々と質屋を営む男は、隣室の住人の娘ソミから「アジョシ(おじさん)」と慕われている。他人に対して愛想のない男もソミの母親がストリッパーで麻薬に溺れていることを知ってか、なにかとソミのことを気にかけていた。そんなある日、ソミの母親がギャングの麻薬を横領してしまい、母親と共にソミも姿を消す。隣人一家との関係を疑われた男は、ギャングの脅迫を受けるが逆にソミの行方を追って男は捜索に乗り出した。

残虐表現で定評のある韓国映画ですが(主に私に)、今回も血が飛び、殴る蹴るの暴行に加えて子どもまで残虐行為の対象になるあたり(この辺はさすがにおさえ気味でしたが)、韓国映画の表現への果敢な挑戦には毎回感心してしまいます。特に今回良かったのはアクションシーンでした。普通アクションってもっと音楽鳴らして盛り上げるもんなんですが、そこを敢えて無音でいく渋さ。淡々と、それで居ながらナイフ格闘戦での、急所を狙って次々と繰り出す隙のない動きの集中力。ゲームの話であれだけど、本当に集中して戦ってる時ってBGM聞こえてないですからね(笑)例えばアクション俳優のジェイソン・ステイサムのように動きそのものに優雅さや華があるわけじゃないけど、そこには地に足着いたアジア人の熱心さがあるように思いました。主演のウォンビンの鬼気迫る表情が、すごく「一線越えた」感があって良かったです。


ネタバレ





血縁関係のない他人が隣の家の女の子を助ける。韓国版「レオン」だなあと思って観てしまったので、最初はこの主人公の若さが気になってしまいました。映画「レオン」では、ジャン・レノという壮年の俳優を使って、少女との年の差を越えた恋愛感情のようなものを描いていたと思うんですね。(ロリコンで片付けて欲しくない)それをそのまま引きずってこの映画を見てしまうと、主人公が若すぎるんですよ。でも後から気づいたんですが、この物語では主人公はかつて結婚していて、子どもを持つことになっていた。それが目の前で、無惨に破壊されてしまうという過去を持っているんですね。愛する妻も、生まれてくるはずだった命も、すべて。それが少しずつ明らかになって行く展開の絶妙さはすごく良かったです。で、彼は劇中ずっと黒い服しか着ていない。ずっと喪中なんですね。(この黒と過去の幸福な時間の中での白との対比はすごくよかった)隣家の女の子という存在は、彼にとって生まれてくるはずの子どもを重ね合わせて見ていたと思うんですよ。自覚しているかどうかはさておき。でも、この少女とはどんなに親しくても他人でしかない。だから「アジョシ(おじさん)」なんじゃないかなと思うんですね。父親になれなかった彼が唯一なれるもの。血縁ではない呼び方で一番親しい名前。そしてそれを受け入れることで、彼は妻や子どもに感じていた罪悪感を昇華させることができたんじゃないか(そうあって欲しい)と思います。そうするとこの主人公の若さというのが、少女の年齢とぴったり合うんですよね。