新世界より

新世界より(上) (講談社文庫)

新世界より(上) (講談社文庫)

新世界より(中) (講談社文庫)

新世界より(中) (講談社文庫)

新世界より(下) (講談社文庫)

新世界より(下) (講談社文庫)

つい先日、2011年の日本SF大賞が発表されましたがこの作品は2008年の大賞作品でした。あまりSFコーナーでは見かけない作家さんなので思わずスルーしてしまったのですが、おおおすごい!久しぶりにこの分厚さにも関わらず一気読みしてしまいました。

物語は、渡辺早季という女性の一人語りを主軸に、きっと誰にでもある郷愁をドボルザークの「家路」という曲や日本語としてつけられた歌詞を象徴的なイメージとして幼い頃の楽園のような日々、そしてもうそこには戻れない切なさを丁寧に描いた作品だと感じました。解説にもありましたが、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」にもあるような無知で無垢な状態への回帰願望を思い出しました。(構造も女性の一人語りという点や、これから起ることを先に読者に提示する手法もそう思わせる一因かなと思います。)
で、この冒頭の幼い頃の楽しかった日々の描写がすごく情感豊かなんですよね。実際に夕暮れ時に「家路」を聞いたことはないはずなのに(ちなみに子どもの頃はうちの実家の近所はチャイムでした)その情景がきちんとイメージできてしまうんですよ。日本という文化圏の中に共通して埋め込まれている情景を起動するコードがあるんじゃないかしら。ただ私は海辺育ちのくせにウミウシというやつが大嫌いで、恐らくその形状を巨大化したかのような(あるいは青虫。こちらも超がつくほど嫌いだ)ミノシロという生物のシーンだけは脳内にモザイクをかけましたけどねっ。音楽を道連れにとぼとぼと家に帰る時のあの充実感と心地良く疲れた感覚、明日もまた今日と同じくそれなりに楽しいだろうと疑うこともない安心感とか、そういう感覚を想起させる文章が素晴らしかったですね。それにただ単にイメージをかき立てるだけじゃなく、子どもの頃の記憶の曖昧さをうまくミステリーに仕立てていてすごく楽しかったです。そうそう、名前も顔も覚えてない友だちってなんか居たような気がするんですよね…。それに子どもの頃一度行ったきり二度とたどり着けなかった場所とか、おぼろげながらあるんですよね。あれ、どこだったんだろ。

でもこの作品はそんなイノセンスなままでは終わらず子どもたちは安全圏の外側で世界の本当の姿を知って行くんですね。そこが「わたしを離さないで」と決定的に違うところであり、この作品の魅力的なところでもあると思います。残酷な現実から遠ざけられて、子どもたち自身もその虚構の一部として容赦なく選別される。でもその虚構の中で真実を知りながら生き延びることが、子どもたちの個々の人生とその外側の大きな世界とを繋いでいるんですよね。やっぱり物語はこのくらいどーんとでかいこと言ってて欲しいし、ほとんど無にちかい微力な子どもたちが悩んだり迷ったりしながら決断して行くのは、見ていてハラハラしてしまってとてもスリリングでしたがすごく面白かったですね。あんまり子どもが過酷な目に遭うお話は好きじゃないのですが、これはそれほど残念な気持ちにもならず上手く着地したなあと思います。

そしてこの物語は、悪意というものを道徳ではなく、生物学の側から語ろうとしたんじゃないかと思います。ちょっとした意地悪とか文句くらいは誰でも日常的に言ったりやったりしてると思うんですよね。意図してなくても誰かの迷惑になって知らないうちに反感買ってたりして。「誰にでも優しくね」とか「生かされていることに感謝しよう」と啓蒙してそういう小さな悪意を減らすことはできるだろうけど、それを完全に消滅させることはできないんですよね。人は一人一人違うことを考えているし、何がその人の癪に触るかなんて厳密に知ることなんてできない。
生物的な戦略として多様性を持つために個体として生きることを選んだ生き物が、もし大きすぎる暴力を手に入れたら。ここで描かれる人間や社会は、その大きすぎる暴力に対する抑止力をどうやって保持するかということなんじゃないでしょうか。そしてその抑止の構造を見事にストーリーの基軸に据えて、最後の瞬間くるりとひっくり返った時、この本を読んで良かったと心の底から思いました。