エージェント6

エージェント6(シックス)〈上〉 (新潮文庫)

エージェント6(シックス)〈上〉 (新潮文庫)

エージェント6(シックス)〈下〉 (新潮文庫)

エージェント6(シックス)〈下〉 (新潮文庫)


ソビエト連邦国家保安省の捜査官レオは、国家がその社会主義体制に固執するあまり看過していた連続殺人犯を追跡するが、自身の捜査官としての意義を見失い、代わりにライーサや養子のゾーヤ、エレナといった家族に尽くすことに重きを置くようになり保安省を退職する。
しかし捜査官としてのレオの過去は娘ゾーヤとの関係に亀裂を生み、それに同調するようにレオに人生を狂わされた人々が復讐を開始する。折しも国家がその人道的な罪を認めるのを象徴するように、レオはその罪滅ぼしに奔走するのだった。
やがて国家はゆるやかに弱体化していき、米ソ両国は冷戦以後の関係を模索し始める。捜査官としての人生を切り捨て平凡な人間として生きるレオとは対照的に、妻のライーサは教育者として順調に出世していた。そんな彼女の元に、ソ連の友好使節団の団長として子どもたちと共にニューヨークに向かう機会が訪れる。しかしレオは捜査官という過去から彼女らと共にアメリカ行きは許されなかった。ライーサとゾーヤ、エレナの三人は自由の国アメリカに降り立つが、その先には惨劇が待ち受けていた。

!!! ネタバレを含みます !!!






いやー読んでる途中、あまりにも波瀾万丈すぎて本当にこれ完結できるのかと不安になるほど面白かったのですが無事に終わりました。
これまでのこのシリーズは、レオ・デミドフという個人と、ソ連という体制、この両方を主役として物語が成り立っていたと思います。無力な個人が強大な体制に立ち向かうチャイルド44、体制の罪と個人の罪が交差するグラーグ57、そして今回は、何者でもない、属性をすべて失った個人(レオ)と、属性を与える力を失いつつある体制、という関係ではないかと思いました。これまで個人と体制が対称的に密接に結びついていたことを考えると、今回はその決別ととらえることができるのではないでしょうか。
暴力が高じて、報復と恐怖が拮抗した時、次に現れた脅威は情報でした。こちら側のことを知らせずに、いかに相手のことを知るか。またいかに自分たちが優位な立場にあるかを示すか。冷戦とはそういう情報戦であったと思います。でも優位な立場を主張するには裏付けが必要です。ぼろぼろの服を着てがりがりに痩せた身体で自分たちはこんなにも豊かで幸せだと言っても誰も信じない。ただ重みのない言葉ばかりが虚ろに響くだけなんですよね。体制側にはもう虚構を作り出すだけの力はなくなってしまった。
反対にレオ個人はというと優位な立場を作り出すために命がけの主張をするんですね。今回の物語にはあまり迫力のあるアクションシーンはないのですが、このいかに自分の有効性をアピールして生存するかという緊張感がすごいんですよね。国家が存続のために行うプロパガンダの力が下落する一方で、個人が生き延びるための主張、交渉が力を得て行くわけです。この小さな個人の交渉の積み重ねが、国家間の外交の最中に起きた惨劇の真相に迫って行きます。でも個人が交渉のテーブルに差し出せる物はさほど多くありません。立場上得た情報を少しずつ売り渡して様々なものを裏切りながら、彼は何者でもない者になって行くんですね。そこに立ち現れてくるのは国家の担い手ではない純粋な個人です。レオは妻ライーサのために事件の真相を知りたいと願うのですが、これは彼なりの愛し方なのでしょう。そしてこの人はさらにもう一つの家族を守ろうとするんですね。その根底にはライーサへの愛情と自分自身を変えてくれた尊敬があるのではないかなと思います。いやー女性から見るとこの行動はほんとに素敵ですね。
最後にレオは敵対した国家と運命を共にします。でも彼はどの国家にも属さない、自分自身のためだけの「捜査官」であり続けた。国家と個人の密接な関係性に取り込まれながらも、体制には出来なかった、家族を守りぬくという普遍的な勝利を彼は成し遂げたのだと思います。そのラストには本当に感動しました。

コネタを少し。MGSでおなじみのハインドが出てました。おおあれか。ビジュアルが一発で思い浮かびました。あとファンタオレンジが拷問道具に使われていたのは本当なのかしら?そしてなぜオレンジ…。グレープじゃだめなんですか。今回はアメリカの黒人歌手、ジェシー・オースティンが「ポリスノーツ」のエド・ブラウンに(ちなみに奥さんも同じく)、レオがパキスタンで交渉するCIA局員が「ピースウォーカー」のコールドマンがそれぞれ脳内変換されました。いやーこの作者さんにはぜひステルスゲームのシナリオを担当していただきたい。ぜったい面白いと思うよ。