天冥の標5 羊と猿と百掬の銀河


小惑星パラスで農業を営むタック・ヴァンディは、人工的に作り出された環境のなかで農作物を育てる農家を営んでいた。人工環境を維持するためのエネルギーは潤沢とはいえず、彼や近隣の農家たちはなんとか協力し合って細々と農業を続けていた。それだけでなくタックには反抗期のただ中にある一人娘、ザリーカがいた。農家の単調な日々の暮らしに退屈しきったザリーカは家出を企てるが、ささやかな親への抵抗が思わぬ事件へと発展してしまう。
一方、とある惑星の珊瑚によく似た生物の中で生命体が誕生した。

というわけで、全10巻予定の天冥の標シリーズも前半戦終了の5巻です。これまでの1から4巻は、世界観やキャラクターの関係がほとんどなくてどこから読み始めても問題ない構成でした。(シリーズではなく単独の作品として考えるとこのボリュームとクオリティで4冊も書き下ろしが読めるってすごい贅沢だ)が、今回はとうとうこのシリーズの全貌がつながり始めて来ましたよ!おおおこの後の後半戦が盛り上がるなー。

さて、今回は本章のタック・ヴァンディを主人公とした小惑星パラスでの出来事と、断章として本章に挿入されているダダーのノルルスカインの物語の二部構成という形になっていました。
まずは本章の方ですが、こちらはこれまでのシリーズを踏襲してあるていど単独のストーリーとして読めるようになっているんじゃないかと思います。で、そのテーマが「農業」。数々のSF映画や小説を読んで来たけど、こんなに詳細に宇宙空間での食料生産につっこんだ作品はなかったわー。たしか「月は無慈悲な夜の女王」で月の地下で氷の採掘とかそういう描写があったと思ったけど、こういうのをがっちり世界観として組み上げていてすごく面白かったですね。そうそう宇宙空間でドンパチなアクションするのも面白いけど、普通の人がどうやって生活を営んでいるか、朝起きてから夜眠るまで(どうやって眠るのかも含めて)そうういう見たことのない日常風景を見てみたかった。ご飯はどうやって作るの?とか、お風呂はどうするの?とか、この読んでる側の世界と繋がっている事柄をその物語世界まで伸ばして行く感じがすごく楽しかったですね。
でもそれは楽しいことばかりじゃなくて、生活の苦労もまるごと延長していくんですね。タックのしている苦労はそのまんま地球でも似たり寄ったりな事柄ばかり。人工環境だからってなんでも問題が解決するわけじゃなく、その動力となるエネルギーの不足で困窮したり、世界情勢がダイレクトに生産物の価格に響いたりする。この物語の舞台となる小惑星パラスには地球ほど重力がなくて登場人物たちは身軽に移動したりするのですが、なんていうかシリーズ中で今作が一番「重力」を感じた作品でしたね。人間は土から離れて生きて行けないのよ、なんていう台詞がありますが(笑)、人はいろいろな事柄や過去という重力から逃げることはできないんだなあと思いました。さまざまな因縁やしがらみの中でタックは本当に地味なキャラクターなんですが、その中で挫けずに地に足をつけて立ち続けていてすごく良かったですね。

!!! ここからちょっとネタバレ !!!




さて、もう一人の主人公ダダーのノルルスカインですが、この名前はシリーズ中ちょこちょこと思わせぶりに出て来てましたね。うーん、何者なんだろうと思っていたらようやくその正体が明らかになりました。人間の意識に相当するような存在、かな。意識って脳という物理的な器がないと存在できないと思うのですが、器に対する依存性が高くなくて(別の器に乗り移る柔軟性があって)、さらにバージョン管理ができる(自分を分散しておいて後で統合できる)高機能な意識のようなものと理解しました。(作中では被展開体)というとすごく取っ付きにくい異形の者という感じで確かに考え方とかすごくユニークで面白いんですが、生物の共存という普遍的な部分、その一点だけは共感できる余地を残しているんですよね。そしてそれと対立するのが、もう一つの被展開体。こちらの目的は生物の生存なんですね。人類の細々とした歴史の裏で、こんな神という存在に近い二つの意思が想像を絶する戦いをしていたなんて。すごい面白すぎる!
生物の種としての生き残りを優先するのか、それとも生物の文化的な成長を期待して絶滅の危険を冒すのか、自分の中ではその問いを物語がどう答えるのかが、このシリーズの最終的なテーマになるんじゃないかなと思いました。なんかやっとタイトルの「天冥」の天と冥の意味が分かったような気がする。どっちが天でどっちが冥かは分からないけど(笑)

あとコネタとして、SFファンにはおなじみの「銀河をヒッチハイクするならタオルを持って行け」というルールが覆されました(笑)次の銀河旅行にはぜひスポンジを。