メタルギアソリッド ピースウォーカーHD

1974年。キューバ危機以降の緊張緩和が進む冷戦時代は終わりを告げようとしていた。10年前のスネークイーター作戦において最も尊敬するザ・ボスを暗殺することでビッグボスの称号を得たスネークはその名誉を捨て、今は相棒のカズヒラ・ミラーと共に紛争地域を渡り歩いていた。そんなスネークの元にコスタリカから依頼者が現れる。ガルベス教授とその教え子パスは、軍隊を放棄したコスタリカに攻め込んで来た自称「警備員」の武装集団を排除して欲しいと願い出るが、スネークはその依頼を退ける。しかしガルベス教授が出して来た意外な切り札にスネークは承諾を余儀なくされるのだった。手始めにパスが囚われていたという貨物の集積場へと向かったスネークは、そこで予期せぬ情報を手に入れる。核兵器を保持していないはずのコスタリカに核が運び込まれていた。

!!! ネタバレ 5章「天国の外側」以降の内容も含みます。!!!


この「メタルギアソリッド」シリーズにおけるメタルギアとは、スネークが最後に単身で破壊するためだけに存在しているわけではなく、核とそれにまつわる悪夢を具現化した存在として描かれて来たと思います。「兵士と機械をつなぐ金属の歯車」(MGS3)、「21世紀を導く悪夢の兵器」(MGS)、「技術が拡散された特別ではない兵器」(MGS2)、「コントロールされた戦場のだだの駒」(MGS4)。2と4のインパクトがだいぶ薄れているのですが、武力が普遍のものとなるというのは怖いものがあります。

そして今回のメタルギアピースウォーカーは「鏡の中の自分に向ける銃」なのではないかと思います。開発者の一人ヒューイはこう言います。「ピースウォーカーに向かって攻撃することは自分に向けて(核の)発射ボタンを押すのと同じだ」と。完全な報復機械であるピースウォーカーは自分から攻撃しません。攻撃の脅威を査定して判断を下してから初めて敵に向かって核を発射します。冷戦時代、米ソはいつ相手の国から飛んで来るか分からない核ミサイルに怯えて、人類を地球上から消滅してもまだ足りないほどの武力を抱えていました。相手が攻撃して来たらこちらもやり返す。そして皮肉なことにお互い同じことを考えているだろうという結論に達し、ついに身動きが取れなくなった。絶対的な相手への不信感と、相手の思惑や思慮を容易に想像できる人間性の奇妙な均衡。物流や情報の流れが東西で遮断され、それは鉄のカーテンと呼ばれました。そのカーテンは鏡の役割を果たしていたように思います。こちらが睨みつけたらむこうもそうするし、銃口を向けたら向こうも同じく構える。そして自分がもし核の発射ボタンを押したら…。世界を滅ぼしかねないそのボタンを、ためらいなく押すことができる人間はいないでしょう。自ら企画したピースウォーカーの有効性を世界に知らしめるために核を撃とうとするコールドマンは、その人間の甘く弱い部分を機械に、ピースウォーカーに託します。機械ならためらわずに非情な決断も下せるだろうと目論んで。ピースウォーカーはそういう人類の罪を背負って歩く存在として創られました。でもコールドマンの考えた、機械任せの平和が達成されることはありませんでした。鏡だと知らずに銃口を向け合っているところを想像してみて下さい。その銃を下ろせるでしょうか。下ろした瞬間に撃たれるかもしれない。そう思いますよね。そう思うのはなにも個人だけではなく大国ですらそうなんです。でもピースウォーカーにはそういう人間性はありません。ピースウォーカーは鏡に向かって引き金を引くことができる。そしてこれは逆のことも可能にします。ピースウォーカーは武器を下ろすことができる。撃たれるかもしれない、という恐怖に囚われる人間性を持たないから。そして抑止力に頼らない本当の意味での平和というものが、すべての人類がこのように武器を下ろすことだとしたら、ピースウォーカーだけが唯一それを成し遂げたということになります。皮肉なことに人間性を持たない機械だけが真の平和を実現できるのです。エンディングで平和は幻想だと語られるのは、そういうことなんじゃないかと思うんですね。そしてビッグボスは規範を決定する「時代」と戦い続けます。この「時代」という言い方は抽象的な言い回しで理解が難しいのですが、銃そのものである自分自身が鏡に映った姿ではないかと思います。そして後に「恐るべき子どもたち」というソリッド・スネークを始めとするビッグボスのクローンたちが彼の前に現れます。「時代」の刺客として。ビッグボスはそのソリッド・スネークによって殺されます。まるで鏡の中から現れたかのような自分とそっくりの人間の手によって。

さて鏡の話をしましょう。そう鏡(ミラー)です。カズヒラ・ミラー。スネークの相棒であり国境なき軍隊「MSF」の参謀として主にミッションのバックアップを行うキャラクターです。ゲームが始まってすぐにカズはガルベス教授と共にスネークに「お願い」に来た少女パスに、自分の名前の和平は日本語で平和という意味だ、と説明します。でも和平は「和平交渉」といったシーンで使われる言葉で平和に似ているけれど、平和への働きかけを示す言葉で平和そのものではありません。平和と和平。漢字がそのままひっくり返っていることからも(ちょっとこじつけっぽい気もしますが)カズが鏡としてこの物語に導入されていることを示唆しているのではないかと思います。
エンディングでカズはパスの正体も、そして教授ことザドルノフのことも最初から知っていた、と告白します。彼には傭兵ビジネスを拡大するという目標があり、それを押し進めるために彼らを利用した。でもスネークから見たらパスは平和を切実に願う無垢な少女だったし、ガルベスは敵国の動向を探りにきたスパイでしかなかった。本当は二人とも別の目的を隠し持っているのにカズという鏡越しに虚構を見せられていたのではないかと思うんですね。そしてスネークは惑わされたままその鏡の中の世界に銃を構えて向かって行きます。真の平和が実現される天国でも、熱核戦争によって破壊される地上の地獄でもない、一度銃を構えたら最後まで脅し続けるしかない鏡の中を「天国の外側」というのではないでしょうか。そのアウターヘブンを築き上げたビッグボスを惑わし続けたミラーはやがて時代によって叩き壊されます。ビッグボス亡き後、時代は鏡というカムフラージュを必要としなくなったからであり、ソリッド・スネークというビッグボスの鏡の世界から現れた人間を写してしまったらそれは「ビッグボス」ということになってしまうから。ボスは二人もいらない、のです。

鏡の中に居たら永遠に真の平和には届かない。そこから出ることもできないのだとしたら、それを諦めるしかないのでしょうか。メタルギアソリッドはそんな弱い物語ではありません。鏡であると知りながらそれに向かい合っているのとないのとでは違うはずです。そしてそのことに対する答えを見つけることがプレイヤーに託されている。そういう現実へのお土産を、この物語はいつも用意してくれているのです。