永遠の僕たち

親族でも友人でもない見知らぬ人の告別式へ参加する「お葬式ごっこ」を繰り返すイーノックは、癌で無くなった小さな男の子の葬儀でアナベルという少女に出会う。イーノックが男の子の知り合いでないことを見抜いたアナベルは、彼の不謹慎な行動を問いつめることなく、次にイーノックが出かけた先の葬儀で自分もそのごっこ遊びに参加する。奇妙な行動を共にしていくうちに二人の関係は近いものになっていくが、お互いに秘密を隠し持っていた。

「さようなら」という言葉って実際にあまり使ったことがありません。「それじゃあまた」とか先に可能性を含めた言い方の方が多くて、「さようなら」はもうそれっきり関係が断たれてしまうような気がします。「さようなら」はもう二度と会えない人にかける言葉だと思うんですね。

この映画の中に登場する二人の男性、イーノックとヒロシはそれぞれの大切に思う人たちに「さようなら」が言えなかった。別れを告げることができなかった。だからイーノックは告別式をさまよい歩き、ヒロシは現世をさまよっている。二人は自分が納得する「さようなら」を探しているんですね。ヒロシはイーノックにしか見えない幽霊として描かれていて二人は小さな男の子のように遊戯するのですが、この二人はイーノックの分断された心の有り様を表しているように思います。10代の少年というわりにイーノックの行動はすごく幼稚なんですよね。(途中でちょっといらいらした)その幼稚さにそっと寄り添って支えているのがヒロシという、現実をきちんと把握している心の一部分なのではないかと思います。その二人の関係も常に安定しているかというとそうでもなくて、イーノックが身体的に大人になって行く過程で見せるヒロシの複雑な心境がうかがえるシーンがあったりして、人の心がどうやって折り合いをつけているかを目の前で見ているような気がしてすごく面白かったですね。

そして「さようなら」の対象となるのがアナベルという少女です。彼女に残された時間は多くありません。そのことが家族の心を悲しみで満たしてしまい、本当に彼女が踏み込んで欲しい部分に誰も立ち入れなくなってしまいます。そのことが多分アナベルは哀しいと感じているんじゃないかと思うんですね。でもイーノックは(彼なりに事情があるのですが)そういう不謹慎さを踏み越えてアナベルに向き合います。なぜなら彼女は間もなく「さようなら」と言うべき人だから。「さようなら」を求める者と「さようなら」を与える者の関係。逆に死に行く者が求める想い出と、その想い出を共有する生きて行く者の関係。他者の間で交換されるのはなにも愛情ばかりではなくて、別れと死もまた同じように流れて行くんですね。そしてその流れは不思議なくらい愛によく似ている。

ワンカット毎にすごく映える映像が素晴らしかったです。特にイーノックアナベルが交わすキスシーンはどれも写真として切り出してもいいくらいきれいでしたね。アナベル役のミア・ワシコウスカさんの透き通るような肌と妖精のような悪戯っぽい目の輝きが、すでにこの世から離れつつある役柄にすごく合っていて印象的でした。それとヒロシ役の加瀬亮さんがすごく良かった。アナベルとはまた別のふわふわした存在感と日本人らしいしっとりした悲しみがよく出ていて素敵でした。