The Indifference Engine

The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)

The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)

柔らかで繊細な文章とは裏腹に強烈な構造を描く作家伊藤計劃さんの短編集です。ほかのSFアンソロジーや記録集に掲載されていた短編が一冊にまとまっているので、どんなものかなあと初めて読む方にもおすすめです。

  • 女王陛下の所有物(漫画)

漫画というよりはアメコミのようなアート作品に近い感じ。ストーリーもしっかりと説明をつけるというよりは、映画の予告のように読み手の想像にまかせているようなところがあるのですが、ネタの一つ一つががっつりしっかりと埋め込まれていて、それがネタ元の007への愛着を際立たせているように感じました。というかこんなネタ(巻末に解説つき)があったのね。いやー知らなかったわ。

ゼマ族とホア族という二つ種族の闘争の混沌の中を生きる「僕の戦争」の物語。
アウターヘブンのビッグボス(MGS)ならぬインナーヘブンのリトルボス。過酷な現実の中を生き抜いた僕が、本のこちら側と同じ目線で語る地獄。

地獄はここにある、とアレックスは言っていた。
地獄は頭のなかにある。だから逃れられないものだ、と。
虐殺器官」より

過酷な現実を地獄たらしめているものが脳のなかにあるとすれば、その逆の天国を定義するものも同じ脳のなかにあるはず。この凄惨な世界を天国にしよう。素敵だと思ったでしょうか。そう思ったなら読んでみて下さい。きっと寒くなるはず。
そしてこれは天国に向かって行く物語でもあります。ビッグボスが天国に背を向けたのとは逆に。世界に対して巨大な壁となったビッグボスと、世界の内側に潜り込む僕。互いに反対を向いているのに、その描かれる結末がまったく同じだと言うことが面白くてたまりません。

  • Heavenscape

かつて人間の身体を乗っ取り、その人物に成り済まして世界を混乱と恐怖に陥れたスナッチャー。撲滅されたはずのそれが再び現れ、特命を帯びたルーシャスはその調査にあたる。
ゲーム「スナッチャー」の世界観を下敷きに描かれる物語です。未完なのがもったいない。冒頭の部分が「虐殺器官」とほとんど同じで、この二つの作品を比べると、こちらは人と機械との差分(あるいは同じだということ)を描こうとしていたのではないかと思います。映画「ブレードランナー」(あるいは本「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」)でもテーマとなっていた、どこまでが人間かという明確な定義はできるのか、という問題に対して答えようとしていたのではないかと思います。

  • フォックスの葬送

MGS3のその後のあり得たかもしれないもう一つの物語として。
特に印象的だったのが、この作品の中で「管理された戦争」という記述が出てくること。戦場を機械が統制する、というコンセプトを持ったMGS4よりも前の段階ですでにこれに言及しているんですよね。(MGS4のトレーラーはもう発表されてたかもしれないけど)それに(どこまでフィクションかちゃんと確認してないけど)電子計算機の変遷がすごく詳しく盛り込まれていて興味深かったですね。そういえば学校で一通り習ったけど、こういう軍事利用はあんまり聞かないなあ。こういうのどこで調べたんでしょうかね。すごい情報収集能力ですよね。
MGS2の冒頭で「コンピュータの進化は常に戦争と共にあった」という趣旨のメッセージ(たしか米スミソニアン博物館の展示から)がありましたが、それを具体的に物語に盛り込んでいるのではないかと思います。
そしてこれはビッグボスがいかにアウターヘブンという風景にたどりり着くかという物語でもあるのですが、これはMGS PWのテーマでもあるんですよね。正史よりも先に描かれた、先取りのMGS PWのもう一つの物語、としても読みました。

  • セカイ、蛮族、ぼく

蛮族ってなんですか。ちょっとよく分からないなあと思いつつ、繊細で優しい語り口なのにどぎついシュールなギャグが飛び出して来て面白かったです。漫画だと洒落にならないわ。あと歴史とかにも疎いのでどうしてローマとか出てくるのかいまいち分からなかったのですが、「SPQR」という文字はゲームの「アサシンクリード」(あ、他ゲーム出しちゃったけど、ステルスゲームだしまあいいか)で見たことあるわ。あるけど意味がよく分からない…。それを携帯という普通の世界のガジェットにつなげる発想力というか世界観を横断する機動力がすごく良かったですね。

  • A.T.D Automatic Death(漫画/原作)

特定のデバイスなしに軍事ネットワークとリンク可能な「すべてを見そなわす男」ATDは、科学者殺害に関与した疑いのある男を追う。
説明的な記述を避けた、読み解きの必要な漫画なので読み間違えてるかもしれませんが。作中には「インターフェース」という言葉が強調して登場します。インターフェースそのもののATD、インターフェース越しに娘に会うことが一番近いと感じているホロウマン、そしてそのインタフェースを嫌悪する妻。通常インターフェースとは、他者と他者が接する面に存在する共通認識というような意味かなと思います。コンピュータ上の意味合いでは他者ではなくオブジェクト(あるいはマシン)に代わります。誰かと話をする時には、日本語や社会の常識というインターフェースをお互いに持っている必要がありますよね。そうでなくては話が噛み合ない。機械でもお互いに通信する際には共通事項(プロトコル)を実装している必要がある。たぶん、この世界ではそういうインターフェースが独立して一つのガジェットとして管理されているのではないかと思うんですね。その独立した存在がATDで、ホロウマンの妻はその自分のものでなくなったインターフェースを通して会うことは「本当」ではないと思っている。例えば、ネットのストリーム越しに会話をすることはサーバー間のインターフェースを通過するけれど、距離はないですよね。でも、それは「本当」なのか。インターフェースという共通事項を通してこぼれ落ちているものは本当に無いのか。そういうことを描いているのかなと思いました。

先の「女王陛下の所有物」とつながりのある作品。この作品の延長上に「ハーモニー」があるのではないかと思います。人間の意識というものに科学はいまだに明確な説明をつけることができていません。意識をコンピュータソフトウェアとみなすことはSFでは古典的ですが、その上でコピーや上書きなどのソフトウェアの特性を踏まえていたり、また逆に「無意識」をデジタル上での概念に置き換えたり(存在しないことを見つけるということ)という部分がとても面白いですね。この定義の反転(NOT)は、他の作品でも見られるもので、サイバーパンクというコンピュータの概念を多用したSFのジャンルに造詣の深かった伊藤さんならではのアイデアのように思いましたね。
それとこの物語は主観を語る客観の物語でもあると思います。事実をなんの感情も喚起することなく述べて行くことで、逆にそれが切実なものであると強調されているような、そんな感じがしました。
あと映画ネタ的に所有物候補者たちの名前がそれぞれ、英国人俳優(ジェームズ・ボンドに近い年齢かな)なんですよね。クライヴ・オーウェンユアン・マクレガージュード・ロウクリスチャン・ベール、かな。クリスチャン・ベール、米国人だと思ってた。まあここはどうでもいいところですけど。

  • 解説

ウィリアム・ギブスンブルース・スターリングの共同執筆で書かれた「ディフェレンス・エンジン」の巻末の解説です。本編と同様に円城塔さんとの共同執筆。解説と言いながらも、読者を導くような親切なものが全然なくて、まるで本編のとある存在が自動筆記したかのような感じです。はっきり言って論旨がよく分からない(笑)円城塔さんのどことなくおとぼけながらもハードな物理的、数理的概念を投入する大胆さも、伊藤計劃さんの繊細な記述の技巧も、どちらの痕跡も曖昧にしながら、きちんとそれぞれのパターンが感じられる、面白い構成になっています。

しばらく前に円城塔さんが絶筆となったこの作品を引き継いで執筆されていると発表がありました。その作品の完成を待ちたいと思います。

早いものであれからもう三年が経ちました。こうして読み返す度にぜんぜん読めてないなあと感じます。これから先も新しいことを見つけたり、同じところで印象を受けたりしながら読み続けて行くことになるでしょう。プロジェクトはまだまだ続いています。