ヒューゴの不思議な発明

不慮の事故で唯一の肉親であった父を失ったヒューゴは、駅の時計係の叔父に引き取られ、飲んだくれで仕事をしない叔父に代わって駅の裏側で時計を回し続けていた。その駅の片隅でおもちゃ店を営む老人ジョルジュにヒューゴは父の形見のノートを取り上げられてしまう。それは駅の裏側の彼の住居に隠し持っている自動人形(オートマトン)の設計図だった。

3Dの方が良かったかなあ。冒頭の駅の裏側に組み込まれた階段やフロア、巨大なギアが動く仕掛けの間をヒューゴが駆け抜けて行くワンシーンはきっと3Dの効果を充分に計算されているんじゃないかと思いました。ヒューゴの姿を横や上からとらえながらカメラが平行して追っかけて行くんですが、その手前や奥にきちんと物を配置しているんですよね。これまでいくつか3D映画を見て来てたけど、あまりちゃんとそういう3Dを考慮したものではなかったような気がします。もちろん、まだまだ実験的な表現は出てくるでしょうが、2Dから3Dへと移行する表現の教科書的なものでもあるのかもしれません。

さてお話ですが、けっこう映画好きなんだけど、この人のことは全然知りませんでした。ジョルジュ・メリエス。あ、でもあのロケットが月に突き刺さるシーンは見たことあったなあ。さすがにリュミエール兄弟くらいは知ってたけど。
映画は夢なんですよね。そこにある映像で心が動くもの。それを創る人間と、その想像を具現化する機械(カメラ)がある。この物語で一番素晴らしいと感じたのは、映画を撮影する機械が自動人形と同じものから出来ているということ。この映画の自動人形は文字や絵を描きます。この自動人形は、いってみれば人間の想像(イメージ)の部分を担っているのではないかと思うんですね。自動人形の想像と、機械(カメラ)が創造する夢。映画の、「物語と映像」という欠くことのできない二大要素をこれらが担っている。そして最終的に夢を失った者の元に、この自動人形が戻ってくる、という物語ではないかと思いました。この映画は「映画」が主役なんですね。夢が夢を与える、っていうね。