都市と都市

都市と都市 (ハヤカワ文庫SF)

都市と都市 (ハヤカワ文庫SF)

ベジェルとウル・コーマの両国は、同じ領域に国境がモザイク状に配置されるという、特殊な形態を持つ。ベジェル警察のティアドール・ボルルはベジェル側の公園で若い女性の死体が発見されたと通報を受け現場へ向かう。調査を進めるうちに、その女性の死体は向こう側のウル・コーマから運ばれたことが判明する。しかしベジェルとウル・コーマの境界を越えると、第三の超法規的な権力ブリーチが発動されるはずなのだが、ブリーチは沈黙を保ったままだった。誰かがブリーチの目をかいくぐり、殺人事件の追跡を交わそうとしている。ボルルはウル・コーマ側の民警クシム・ダットと協力し犯人を追いつめて行く。

両国の領土が交差(クロスハッチ)し、互いの国の人間は見ない(アンシー)ことが義務づけられている。そのために互いの存在を認識しないように子どもの頃から訓練して、ほとんど自動的に意識の外におくことができる。そして両国の越境違反を厳しく監視している謎の権力集団ブリーチ。すごい設定(笑)こんなむちゃくちゃな設定、ゲームでもなかなかないわ。
どうして物理的にほとんど同じ位置に二つの国があるのか。それは人間で言えば、まったく違う二つの人格が一つの身体に入っているようなもの。二重人格ならぬ二重国家です。お互いに知ることのない人格の意識がベジェルとウル・コーマだとしたら、ブリーチという両者に干渉する存在は無意識といった感じでしょうかね。むしろブリーチはベジェルとウル・コーマという並び立つ二つの間にしか存在できないんですよね。それこそが、この物語にどうしてこんな奇妙な設定が導入されたか、という理由だと思います。
面白いことに、ブリーチは「見て見ぬふりをしなかった(=見た)」時に現れます。この「見ないことにする」という自力で意識をねじ曲げるのは、ジョージ・オーウェル作「1984年」のニュースピーク(言葉を省略させることで思考の範囲を削っていく=意識の振り分けを操作する)に近いのかなと思ったのですが、意識を削ぎ落とすというよりは、マスキングしているようなものだと思うんですよね。おおお、それを自力でやってしまうか。「1984年」のような体制に従うことで出てくる滑稽さみたいなものもあったし、そういう雰囲気が近いかなと思いました。
都市、体制というのは人間の都合でできてますよね。もっと言えば一部の人間の。その都合のいいものしか都市にはないはず。見ていいもの(見たいものではなく)しか存在するべきじゃない。でも完璧な都市というものは存在しません。どこかしら不都合を抱えてるし、大概の都市はそうなってる。ブリーチというのは、そういう都市の不都合を高度に修正する機能なんじゃないだろうかと思います。何かの拍子で、ベジェルとウル・コーマが分かれた時にぽこっと生まれた、物理的なものがない都市の意識の一部、かな。うーん難しいな(笑)

この奇妙な設定を使いきった推理ものとしての謎かけと答えは良かったのですが、SF的な説明があまりなくちょっと物足りない感じでした。いやハヤカワSFってレーベルで出てるからさ。これ、見ないこと、意識しないことを拡張現実なんかのガジェットで補強してたらぐっとSFらしいんじゃないかな。そうなると「電脳コイル」(アニメーション)みたいな感じでしょうかね。