アメイジング・スパイダーマン

幼い頃理由を知らされないまま両親と別れたピーターは、高校生となり両親の死の真相を疑問に思いながらも叔父夫婦と平穏に暮らしていた。ある日家の地下室で見つけた父が遺した鞄から、ピータは一冊のノートを発見する。そのノートに添えられていた写真に父と一緒に映るコナーズ博士と面会するために、マンハッタンにそびえ立つ研究所を訪れる。

これまでの「スパイダーマン」を観てませんが、今回新たにストーリーが語り直されるということで観てきました。

観てない割には概要が中途半端に頭に入っていて、スパイダーマンは彼女に正体を明かさない(この葛藤がストーリーの軸となるのかな)、スパイダーマンは誰にも正体を明かさない(覆面のヒーローであり続ける)、という部分が主題なのかと勝手に思い込んでいましたが、わりとその辺はさらっと流されていて、あらちょっと違うなと感じました。
スパイダーマンの正体を知る人間が最小限に抑えられているのは基本どおりとして、その正体が明かされるのがストーリー上のクライマックスではないんですよね。どちらかというとピーターというごく普通の高校生が、どうやってスパイダーマンになるか、という部分に主軸が置かれているんじゃないかと思いました。恐らくそれを一番促したのはベン伯父さんの事件である、というのは恐らくこれまでと同じなのではないかと思いますが、それに加えてグウェンの警察官の父との会話もかなり重要な部分を占めていたと思います。警察は公的に街の平穏を守る組織ですが、ヒーローはその組織に反する存在です。「そんなことは警察に任せておけばいい」という障壁を、少年がもっとも敵視する付き合ってる彼女の父親という立場の人間に言わせることで、それを乗り越える動機を与えているんじゃないかな。それでいて、ピーターは生活の軸足を「普通の高校生」に置き続けるんですよね。ヒーローという外側の人間と、高校生という内側の人間を生きることに決めたんだと思うんですよね。この普通の高校生の部分を支えるのが、メイおばさんとグウェンだと思うんですよね。メイおばさんはいつも帰りの遅い甥っ子を心配してるし、グウェンは学校の廊下でいつもピーターの姿を追っている。

そしてこの普通の高校生ピーターが生活する街、ニューヨークでスパイダーマンは活躍するんですよね。ヒーローは普通ではいられない、普通の人はヒーローにはなれない。この新しいスパイダーマンはそのギャップを埋める者として存在するのかもしれない、と思いました。

ドラマ部分の演出がちょっと面白くて、ピーター(アンドリュー・ガーフィールド)とグウェン(エマ・ストーン)の、言葉がはっきりしない、やりとりが時々かぶったりするようなナチュラルな会話や、ぎこちないような「ね、分かるでしょ?」っといったような仕草や表情がすごく良かったです。なんだろう、あんまり映画では見かけない文脈で会話してる感じ。映画やドラマって話者や受け手がもっとはっきりしてると思うんだけど。これはちょっと面白いですね。それにしてもアンドリュー・ガーフィールドの笑顔は本当に屈託なくて素晴らしいね。もー百点満点あげちゃう。

追記
「街の中に居るヒーロー」という意味で、ニューヨーク市の大きさや距離をリアルに演出していたように思います。終盤の研究所ビルまでの距離が遠くて、スパイダーマンの得意の糸を駆使した滑空でも時間がかかる。街がヒーローの手に負えないくらい広いんですね。でもそこまでたどり着くために様々な人が力を貸してくれる。この演出は後半を一気に盛り上げる一方で、リアルな都市に居そうなヒーローを描いているんじゃないかと思いました。ちなみにちらっと出て来たカナル通りは私ががっつり道に迷った場所で想い出深かったです(笑)