ダークナイト・ライジング

!!! ネタバレ !!!






ジョーカーとの戦いの中で、正義の使者ハーヴィー・デントの名誉とゴッサム市の秩序を守る代わりに汚名を引き受けたバットマンは姿を消した。それから8年。平和が訪れたゴッサムの地下で、闇から生まれた者が立ち上がろうとしていた。

「喜び」が天からの贈り物のように感じるのに対して、「怒り」は地の底からわき上がる。感情には位置関係があると思います。
前作「ダークナイト」では、光と闇、秩序と混沌というそれぞれに二つの並び立つ関係を描いていたと思います。そして今作はというと、上下の関係。一番分かりやすいのは、支配階級と、低所得層。搾取するものと、されるもの。光の元に生まれた者と、闇の中で生まれたもの。これを表しているのが、バットマンとベインの関係です。でも彼らは完全に対立する関係ではないんですね。ジョーカーとの対決の中でバットマンは悪とまで言われて、世間的には指名手配犯です。お互いに闇の中に居る。そして守るべき市民への信頼をバットマンは失いかけている。ここがベインと呼応するところなんじゃないかなと思います。天から地に向かう糸が垂れ下がっているんですね。そしてそれを手繰り寄せてベインはバットマンを地に落とします。
上下の関係でもう一つ。市民と警官です。見張るものと見張られるもの。警察官だって一市民でもあるのですが、貧困層(この関係性の中で下の方)から見ると困難な生活をさらに邪魔する者でしかないんですね。終盤の荒れ果てたゴッサムで、真っ向から対立する市民と警官の構図(しかも市民側が上に、警官側が下に描かれてるカットが面白い)がそれを表しているように思います。
そしてバットマンブルース・ウェインというヒーローとふつうの人、との関係でもあります。ヒーローは雲の上の人、でもその中の人は地に足つけて生活している人です。今回、ブルースは再びバットマンへと復活しようとします。そして真のヒーローはふつうの人の中に居る、誰でもヒーローになり得る、という結論に至る。けれど唯一のヒーロー「バットマン」の復活を望むのが、新人警官のジョン・ブレイクであり、それを望まないのが執事のアルフレッドなんですね。ジョンは実は普通の人がヒーローになり得る、というバットマンの解を自覚しないままに体現している存在なのではないでしょうか。特別な雲の上のヒーローと、ふつうの地上の人がなり得るヒーロー。その対比があるように思いました。そして面白いことに、ジョンは警官から刑事へと、どんどん上がっていく。それに対応するのがゴードン本部長でこちらはどんどん下がっていくんですね。

この監督の作品では、明確でシンプルな構造をいくつも重なり合わせて映画を成り立たせているところがあって、その一つ一つを見ることはとても簡単なんですが、その全体を読むのはやっぱり難しいですね。そこが面白いところでもありますが。

この上下関係を作っている重力。それが怒りなのではないかと思うんですね。怒りは沸き起こるもの。その地の核にあるものは重力です。バットマンこと、ブルースはその重力によって服従させられてしまうんですね。中盤の牢獄からの脱出のエピソードはそれを表しているように思います。でもその重力から自由になる方法が一つだけある。それが恐怖です。恐怖は人を縛り付けもするけれど(大方こっちの方が多いけど)、それを動機としたら逆にすごい力が出たりしますよね。恐怖を克服するのではなく、恐怖によって動くこと。そうすることでバットマンは、重力の束縛から抜け出し飛び立ちます。怒りという核と、恐怖という駆動力によって立ち上がる、そんなヒーローなんですよね。
そしてそれに相対するのが、重力から自力で立ち上がったベインというキャラクターです。彼が求めているのは破滅。彼は重力からの自由など恐らく考えていない。むしろ重力を離れてふわふわと浮かんでいる(浮かれている)人々を、強力な物理法則下に戻そうとしているように思いました。そしてどんどん強くなっていく重力がやがて、年老いた恒星が超新星爆発を起こすようにすべてを破壊するんですね。

恐怖と破滅が上下から絡み合い二重螺旋を描いて、やがてはそれが解けて行く。そんな映画でした。こういう物語は、やっぱり解を1にしてはいけないんでしょうね。全力で0に戻すところがすごく切なく、またそれで納得する部分もあって最高の終わり方でした。

一番のシーンはやっぱり終盤の殴り合い(笑)雪が舞い散る中でお互いの信念がぶつかり合う。これはもう言葉にできないですね。最高に熱い良いシーンでした。あと、新人警官役のジョセフ・ゴードン・レヴィット。気の優しそうな青年風でありながら、強い意志を持って戦っていてそこがブレないところがすごく良かったです。本当すごく良い演技するなあ。