エンダーのゲーム

エンダーのゲーム (ハヤカワ文庫 SF (746))

エンダーのゲーム (ハヤカワ文庫 SF (746))

捕えた人間を容赦なく殺害する残虐な異星人バガーとのファーストコンタクトを経て、人類は二度の侵攻を辛くも食い止めた。しかし対話もままならなず、人類にとって害にしかならない異星人の存在を放置することもできずに、人類は三度目の侵攻に供えて先手を打った。バトル・スクールを設立し、幼年の子どもたちを集めて無重力訓練やコンピュータ・ゲームを用いて優秀な司令官を育成するのだ。そのバトル・スクールへと入学したエンダーはみるみる頭角を現し、勝ち続けなければならないゲームへと駆り立てられて行く。




ゲームで一番盛り上がるのって、最後の一機*1になった時だと思う。やばい、もう後がない。ここまでやってきたのが無駄になる。ていうか負けたくない!盛り上がるっていうか、緊張してアワアワしてしまうんだけど。これまでにないくらい集中するし本気出るんだよね。まあ大した本気じゃないけども。
この小説はそういうこと。人類が異星人との一騎打ちのゲームで最後の一機になった、というお話。そしてそんな物語の主人公は、まだ10歳にもならない天才ゲーマー。彼には味方がいない。大人たちの卑劣で冷静な判断で徹底的に孤立させられてしまう。だってゲームをやり遂げるのは自分しかいないから。後ろから見てるギャラリーはたくさん居ても、そのゲームに向き合えるのは一人しかいないから。こんなに極限まで孤独に置き去りにされるキャラクターを私は知らない。だからちょっとした仲間との触れ合いがすごくきらきらしているのね。さり気ない一言や、少ない言葉の中に込められた深い親愛とかすごく際立つんだよ。でも全体的に読んでて辛かった。子どもがたった一人で世界を掛け金にしたゲームを強いられてるなんて。でもだからこそエンダーはそれに没頭していく。勝ったらなにかご褒美がもらえるとか、クリアしたらもう戦わなくてもいいとかそんな希望もなく、ただひたすら目の前のゲームに勝ち続け、そして勝つためのゲームを求め続ける。勝ち続けること。ただそれだけがエンダーの目的。

ゲームにはルールがある。そのルールは敵と味方両方に平等に適用される。でもそのルールが不平等だったら。圧倒的に有利な敵と戦わなければならないとしたら。絶望的な状況で勝たなければならないとしたら。それはもうゲームじゃない。それは現実に近いものになる。逆に言えば現実は加齢や生来の能力による縛りプレイでもあるんだよね。でもエンダーは若い。若すぎるくらい若い。そして恵まれた才能がある。それでも現実を生きることは、現実というゲームをプレイすることは大変だ。加えて言えば、いまこの一機しかない。

そんな究極の難易度でプレイした現実がエンダーにもたらしたのは、何者も追従できない強さだったと思う。誰にも頼らない、たった一人で目の前の難関に挑む強さ。そしてそれを打ち破る強さ。そのために捨てざるを得なかったものが、普通の子が当たり前のように受け取るべき幸せがエンダーからはこぼれ落ちてしまってすごく切なかったな。

そしてこの物語はクリアのその後をきちんと描いているんだよね。魔王を倒した後勇者はなにを感じているのか。世界を破滅の危機から救った英雄は本当に自分の判断を確信しているか。勝ち続けるということは、その影に敗者が必ず居るということ。そこまでをきちんと描いているのはなかなかなくて、そういうのが読みたかったな、と気づいた。勇者のその後。ヒーローの心の中。

ちょっと訳が読みにくいけど(それでも日本語訳があるだけでも素晴らしいけど)、それを上回るゲームの展開がすごく面白かったな。そうだよ、ゲーマーには師匠が必要なんだよ!私にはいないけど。

*1:最近はそういうゲームも少なくなったけど