あなたのための物語

あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)

あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)



すごいということは分かるんだけど、それをどう言っていいのか分からない。そんな小説でした。30代の独身女性が死にかけながら努力し、そして死ぬ。正直、この主人公サマンサと同年代で似たような状況の私には読み通すのが辛かった。さらに、主人公の闘病の描写にげんなりして、気休めに巻末に解説はないかなと思って、めくってしまった最後のページに書かれていた言葉。先にそれを知ってしまいながら、それでも読んでしまった。途中で止めることもできたと思うけど、読んだではなく「読んでしまった」という表現の方がぴったりの読後でした。

人間の意識をソフトウェアとみなすことは、随分前からSFではおなじみでした。記憶(データ)の入れ替え、複製(コピー)、編集(エディット)。そしてこの作品ではコンピュータどうしの通信が可能なインターネットのように、意識というソフトウェアどうしの通信を可能にした技術が扱われます。でもそもそも意識どうしのやりとりには古くから「ことば」という道具がある。でも「ことば」の不十分さは周知のとおり。その人の価値観や文化、それまでの記憶によって「ことば」の意味や重さはそれぞれです。この技術はそうした、人間が個々に生み出して後付けで取り決めた共通意識「ことば」を、同じ意味を持つ脳内のニューロンの発火データとして意識に書き込む技術なんですね。

この技術そのものは空想のものなんですが、そこから発展する仮想人格や人体への影響にとてもリアリティがある。例えばこの技術を擬似的に脳を模倣したコンピュータに書き込んだらどうなるか。どうなると思います?人間の「ことば」の意味と重みを知覚するコンピュータができあがるんですよ。しかもニューロンの発火をそのままシミュレートするからことばから連想する感情も模倣する。昔からSFはコンピュータに人間とコミュニケーションをとらせようと試行錯誤を繰り返して来ました。「ある日突然」芽生えた意識だったり、コンピュータ上の仮想環境で地道に進化したり。でもこんなに綿密な設定で隙なく理詰めで「コンピュータが感情を持つ」ことを説得した小説は他に読んだことがなかった。そう、この「綿密な設定を隙なく理屈で詰めて行く」。これがこの小説のすごいところだと思います。

そしてもう一つのすごいところは全編を通して主人公が死に瀕していること。その結末を無に返すような物語は何を意味しているだろうか。痛快に読み手を裏切るためだけにそうすることもあるだろうけど、この物語はそうではないと思うんですね。この小説の最後の1ページに記された一文は、それまでの展開を何一つ裏切っていない。この物語は冒頭ですでにそれを宣言しているから。それじゃあそんな無意味な物語に意味を見出せるとしたらなんだろう。正直にこの小説で、死を意識して必死になって生きることは素晴らしいとか、たとえ死ぬとしてもそれまでの努力は無駄じゃない、とかそんなことは思えなかった。ただ、死は無意味だからそれに向かい合う生は意味を持つ、というか持たざるを得ないんだろうなということと、そしてもう一つは、死は無意味な終わりを意味するけど、無意味は意味を生み出すのではないかと思った。死んでもまた生まれる、ということではなくて、終わりと始まりは決してつながらないけど繰り返している、ということは言えるのではないかな。

この小説の最後にどうしてそんなことが書いてあるのかなんとなく分かったような気がします。これは私に向けられた、私のための物語だから。この小説に登場する仮想人格が選択したように、この主人公が終わることが物語だから。終わらない物語とは逆の、終わることの物語。そしてどちらも人間が求める意味を物語に与えているんじゃないかと思う。