ペルセウス座流星群 ファインダーズ古書店より

この世界にはちょっとしたことで開いてしまう異世界への扉があるのかもしれない。その世界はこことほとんど違わないのだけれど、どこかがなにかがずれている。そんな異世界に迷い込む9つの物語。

このチェスの天才少年ジェイコブが時々チェスの試合中に入り込む感覚って実際に「フロー」と呼ばれてスポーツとかアーティストにはおなじみの感覚らしいですね。まあそれはいいとして、このフローを足がかりに別の世界への導入がとても上手くて面白かったです。その別世界もファンタジーすぎないくらいに片足を現世に残していて、どっぷり頭まで浸かってしまうよりも半身浴くらいに留めているのが印象的でした。循環する世界構造をこの最初の一編で描くことで、その後に続く物語の構成をさりげなく提示しているのではないかと思います。うーん、こういうちょっと救いが切ない物語はけっこうすきだな。

夜警型っていうタイプがあるのか。この短編のほかの作品ではあっちの世界に行ってしまう登場人物が多いなか、この作品はこちらの世界に留まる側の物語でした。流星観測なんてしたことないけど、はるばる遠い宇宙から旅をして来た星の破片を瞬きもせずに待ち構えているのに、その瞬間はあっけないほど短いなんてちょっと切ないですよね。その切なさが、あちら側とこちら側に隔たれた切なさに対応しているような、そんな作品でした。

  • 街のなかの街

例えばちょっとお酒を飲んでほろ酔いの時になんとなくぶらぶら歩いてしまうことがあるんですが、そういう時ってなんだか街の雰囲気がいつもと違うような気がします。それは単に自分の認識がちょっとおかしくなってるだけなんだろうけど、その街のなかを歩いているともう二度とここへは来られないんじゃないかという感覚があってすごく不思議な気分になるんですよね。それは見慣れているものをいかに普段「見ていないか」ということ、認識の外に追い出してしまっているかということなんですよね。なんかこの作家さんはこういうちょっとした機微をSFにつなげるのすごく上手いなあ。

  • 観測者

この短編集の物語はどれも登場人物の外側、客観から見ると日常のささいなことに終始していて、それなのにSFとして物語が成立しているところがすごいんですが、特にその「ささいなこと」が際立っているのが本編でした。大きな出来事と言えば、14歳の少女と高名な天文学者ハッブル(あのハッブル宇宙望遠鏡の人)が会話をする、というくらい。それ以外は14歳の多感な時期を奇妙な症状で悩まされた女性の生涯というごくごく普通の事柄で説明できてしまうんですよね。それなのにその普通の事柄が、別の側面から見ると物理学的な宇宙を観測するということにつながっているんですよね。えーとちょっと違うかもしれないけど、ゲーム「シュタインズゲート」もまたこれに近いなあと感じました。ていうか「事象の地平線」に反応しただけですが。

  • 薬剤の使用に関する約定書

だいぶ前ですが軽い鬱病治療をしていた頃にSSRIという種類の薬を飲んでいたように記憶しているんですが、あれからさらに進歩したんでしょうかね。読んでて見覚えのある名前だなあと思い出しました。人為的に精製される化学物質が、それまで存在していた化学物質の働きを阻害して伝達経路をめちゃくちゃにしてしまうという発想がすごいとおもいました。ちなみに約定書はプロトコル、コンピュータの世界ではコンピュータどうしが通信する際に事前に実装されているべき決まり事を指しますが、こちらの意味にもかかってて秀逸ですね。でも面白いけどこれが映像化しても私はぜったいに観ないな…(虫きらい)

未来を見通すことができたとしても幸せになれるとは限らないよねっていうお話。なんかこの短編集、人妻にアプローチしたり、離婚直後だったり、生涯結婚してなかったり、なんか人生いろいろだなあとSF以外の部分でそんな風に感じさせる作品が多いですね。おとなー。男女もどうあるのが幸せなのかなんて、その二人の組み合わせでしか分からない。なんだか思うようにはうまく行かないよなあとかいろいろ考えさせる作品でした。

そういえば鏡こそ異世界に一番近い入り口なのかもしれないなあ、と思いました。異なる位相の世界を映し出すツールとしては鏡に勝るものはないんじゃないかな。それと魔がさす、って言いますよね。そんなつもりじゃなかったんだけど物事が悪い方向に向かってしまうような行動をとってしまう時に。その魔の住処に一番相応しいのも鏡の中なのかもしれないなあとおもいました。

  • 無限による分割

「観測者」とこの作品がこの短編のなかでけっこう面白く読みました。平行世界が保つ確からしさ(蓋然性)が低下していく様は、まるで世界という舞台がチープな造りになっていくような面白さがありましたね。バットエンドを回避しながら平行世界を飛び回っても、有り得ない設定が増えて行くだけ。でもそのバットエンドを回避したい気持ちってやっぱり止めようがないですよね。そういう業の深さのわりには情緒が乾いていて不思議な読後でした。

  • パール・ベイビー

異世界に行くにもそれなりの準備が必要。私もSFがすきなくらいですから、ちょっとはそういう世界をのぞいてみたいなーとは思うんですが、帰って来れなくなったら困るからやっぱりいいです。そして最後にこの短編を持って来たのは、読者と物語を切り離すためなんだろうなと思います。ほらほらもう現実に戻る時間だよ、とそんな風に語りかけているような気がしました。まあこの標題のパール・ベイビーがネットでよく見かける四つん這いになったカマドウマみたいなキャラにしか思えなかったのは(私の頭が)ちょっと残念でしたね。