ICO

ICO - PS3

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あらすじ
頭に角が生えている少年イコは13歳になった日、生け贄として捧げられるため霧に閉ざされた古城に連れてこられる。暗く狭い箱の中に閉じ込められたイコはいのちが尽きるまでそこで過ごさなくてはならない。しかし箱を揺さぶる振動が起こり、イコは箱を納めた棚から箱ごと転げ落ちた。運良く箱から脱することのできたイコは城からの脱出を試みようと辺りを見回す。すると高い場所からつり下げられたかごの中に一人の少女がうずくまっていた。自分と同じように生け贄に捧げられたのだと感じたイコは、なんとか工夫して少女を降ろし、その手を引いて共に城の中を探索するのだった。



去年、「風ノ旅ビト」というゲームをしてから感想をいろいろ見ていたらこのゲームが似ていると言われていたのでやってみました。というかこちらが先に出ているし、評価も高いゲームで名前くらいは知っていました。言葉の通じない少女を連れて迷宮のような古城を巡るアドベンチャー。アドベンチャーってなんか変な思い込みで「え、なんでここ?」ってところでよく詰まるんですけど、今回も後から考えたら「なんでそこ?」ってところで、ものを動かそうとしたりジャンプしたりしてました。一番ひどかったのが、ロープが手持ちの剣で切れるということが分からなかったこと。極力チュートリアル的なものを排して、ストーリーに集中させるためのデザインだと思うんですがどうしていいか分からなかったなあ。あともう試行錯誤にも発想力とか柔軟性がないから同じこと試してみたりしてね。でもこれまで培ってきたゲーマーとしての勘で(笑)切り抜けたこともあったし、最後まで自力でどうにかできたので楽しかったです。すごく良かったシーンは西と東にある塔(?)に続く通路を歩いているシーンかな。カメラがななめ後ろから追従して城の途方もない大きさと二人のささやかだけどしっかりと繋がれた手の対比がすごく素敵でした。ただカメラがぐるぐる動きすぎる場面もあって、イコを動かす方向キーがしょっちゅう変わってしまうのがやや大変でした。棒にエルードして移動してる時とか進めてるつもりで気がつくと止まってるのよね。


ネタバレ










このゲームには、主人公の少年、共に旅をする少女、そして城主である女王の三人だけが登場します。そして女王の顔立ちからもわかるように、女王と少女は一つの存在が二つの役割を担っていることを示しています。最後に女王が「少女は新しい魂の器」と言っていることから、城を維持する者としての女王、その後継者としての少女という役割です。これを一つにまとめると、少年(未成熟な男性)と女性(少女性と母性を兼ね備えた者)というものが浮かび上がってきます。そしてもう一つ重要なのが複雑で一度迷い込むと脱出することが困難な城という存在。男性と女性と迷宮という構図はゲド戦記の「壊れた腕輪」に近いのではないかと思います。(「ゲドを読む」(非売品の映画プロモーション用冊子)の『ゲド戦記』と自己実現河合隼雄著)を参考)「壊れた腕輪」では迷宮に閉じ込められたまま育てられた少女テナーと、外からやってきたゲドが共に脱出する物語です。その迷宮はテナーの身体性と強く結びついていて、ゲドはそのテナーの助けを借りなければ脱出することができない。テナーはテナーで分身とも言うべき迷宮のことは熟知しているけど、外部からの要因がなければそこから出ることができない。その中で迷宮はゲドにとっては直面しなければならない問題で、テナーにとってはいつかそこから抜け出さなければならない身体性、安直な例えをすれば子宮ということだと思うんですよね。それを踏まえてこの作品を見てみると、イコの立場はゲドとよく似ていてとにかくそこから出なければどうにもならない(ただイコには城でしなければならない目的はないですが)けれど、少女ヨルダとテナーは同じように身体性と城(迷宮)が結びついているという点では同じですが役割はかなり違うと思うんですよね。一つはヨルダとイコは言葉の疎通ができないということ。時々話したりするけど、表情や声のトーンでしか判断できない。イコは(プレイヤーは)城の中を探索しながらその全貌を徐々につかんで行くけれど、一番身近で手をつないでいるヨルダ自身について具体的に知ることができない。そしてヨルダ自身も城全体のことを把握しているわけではないということ。最終的にはイコとヨルダは脱出し、ヨルダは言葉を得るのですが、これがこのゲームの描いていることなんじゃないかと思うんですね。ゲド戦記がお互いを補完しながら一つの完全なもの、均衡に至る物語だとしたら、このゲームは、何を得て何を失うかという交換の物語なのではないかと思います。ヨルダは言葉を得て、イコは強さの象徴でもある角を失う。城は城主を失い崩壊する代わりに、城を支えてきた女王の後継する身体としてのヨルダ自身を外に放り出す。このゲームのクリア後がなんとも言えない切なさに包まれているのは、そういう総量としての等価が、個々の細かな喪失と獲得の量を上回るから、なのかもしれません。