変態仮面

あらすじ
SM嬢の母と警察官の父を持つ、拳法部のわりによわよわな狂介は両親はともかく平凡な高校生だ。ある日狂介のクラスに転校生・愛子がやってくる。可憐で可愛らしい愛子に一目惚れした狂介だが、自分に自信が持てず接近することができない。そんな狂介は学校の帰りに立てこもり事件に遭遇する。なんと犯人は愛子を人質にとっているではないか!なんとか助けたい狂介は犯人が立てこもるビルに侵入する。しかし拳法部のわりによわよわな狂介では犯人に打ち勝つどころか、返り討ちにされるのが関の山だ。考えあぐねる狂介の前に覆面をした犯人グループの一人が姿を現す。驚いたもののなんとか犯人を気絶させた狂介は、犯人の服装を奪ってカモフラージュすることを思いつく。服を着替え、覆面だと思った白いものをかぶった狂介は身体の内側からわき上がるエネルギーを感じて雄叫びを上げる。その白いものとはパンティだった!パンティをかぶることにより非人間的な力を得た狂介は変態仮面となり愛子の救出へと走り出した!



ヒーローもののパロディとしてお約束の部分を適当に端折りながら(あ、でも雑ではないです)、変態仮面というキャラクターをきちんと立てた映画でした。笑いどころがたくさんあって面白かった。本場のものはハリウッドでやってしまうしね。ちょっと別の話になるけど日本でヒーローものをやるとしたらこういうハリウッド式ヒーローでは太刀打ちできないけど、特撮もののヒーローとかどうなんでしょうね。私はあまり特撮もの明るくないけど、あれは日本固有のヒーローものの形態だと思います。
で、これです。まさかこのブログで変態について語ることになるとは(笑)人間の基本的な欲求が社会的、文化的に歪められ、歪むことによって更に欲望を加速させる、変態というエネルギー。その変態エネルギーを、アイアンマンのアークリアクターのように、バットマンの幼少期のトラウマのように、スパイダーマンの遺伝子的な事故による力のように、行使する者、それが変態仮面です。このエネルギーの根幹を成す「変態」をこの映画はどう描いているか。それは主人公・狂介の思春期の歯止めの利かない、若さ故に暴走する性的興奮によって支えられているんですね。純粋であるが故に変態。変態です、狂介は。そしてこの映画の真のヴィラン(悪役)として登場する、戸渡(とわたり)という教師。この教師の変態のかたちは、狂介のそれとは対照的です。この人は屈辱という内なる大きな衝動を欲望に直結させる術を身につけた人間です。屈辱→快楽というアクロバティックな変換、これこそ変態です。狂介が自分の見た目や評価といった外側からの要因に左右されるものとは、まるで反対なんですよね。この変態の異なるかたちの対立、それが一応この映画で描かれていることだと思います。


それともう一つ、というかこちらが本当に言いたいことなんですけど、この戸渡を演じた安田顕。全編パロディでキャラクターを立てることに集中するこの映画の中で、一人だけマジだったのか彼でした。Why so serious? (笑)なぜなら彼は本当に変態だから。演技でも何でもなく、真の変態がこのフィクションの中に紛れ込んでいるのです。これが異様と言わずしてなんと言おうか。あの屋上のシークエンスは本当にすごかった!

ちなみに狂介を演じた鈴木亮平さん、彼は日本のジョセフ・ゴードン・レヴィットじゃないかと思います(笑)笑顔が素敵。