オブリビオン


あらすじ
2000年初頭に突如現れたエイリアンとの戦闘の末、人類は勝利するも月を破壊され、放射能で汚染された地球環境は壊滅し人々はタイタンに移住することを余儀なくされた。未だ地球上に残るエイリアンから採水プラントを守るため、軌道上から地球を監視する「テット」から地上へ派遣されたジャック・ハーパーは、パートナーのヴィクトリアと共に任務に就く。砂に埋もれた文明の残骸の上を飛び回りながらジャックは故障した無人偵察機(ドローン)を修理していたが、エイリアンに記憶を盗まれないために削除したはずの記憶と思われる白昼夢が時々フラッシュバックするのだった。そんな折、宇宙から見た事もない人工物が不時着する。以前、遺棄されたビルから送信されていたビーコンが指し示すその地点へと残骸をまき散らしながら墜落した宇宙船と思われる中に、ジャックは一人の女性を発見する。それは白昼夢で微笑みかける彼女だった。



壊滅した文明の残骸、その上を飛ぶ極めて未来的(陳腐な表現だなあ…)なデザインの小型飛行機、高高度でも平地と同じようにリラックスして暮らせるほどに高機能で様々なものが詰め込まれたガラス張りの住居、砂地にタイヤの跡を刻みつけながら疾駆する小型で驚くほど機動性のあるバイク。ああこれです。私が映画館で観たいのはこれです。SFってものすごく科学的基盤を盤石にしたものから、ちょっとそれは無理だろうっていう空想科学まで幅広いけどこれはどっちかというとそういう空想科学的なデザイン、根拠よりかっこよさ優先の潔い風景がすごく素敵でした。いや、あんなガラス張りじゃ朝日眩しすぎるだろうとかいろいろあるんだろうけど、ちょっと昔にイメージされた近未来のエッセンスがなんだか観ていて楽しいんですよね。それとドローンの形状もなんだかちょっとレトロな感じだし、音が最高。ちょっと言葉で表現するの難しいんだけど、ピーとかガーっていう電話回線使ってインターネットしてた頃のモデムの音に似てるかな。顔認識や状況判断までできる高機能なのにそういう音しか出ないのね(笑)
ストーリーも、平和な閉鎖状況から一転して世界がひっくり返るような展開で、SFで言ったらディックやホーガンとかそういう感じかな。SF読まない人でも展開は予想できそうだけど、そういう古典的なSFの要素は上記のデザインと同調していて楽しかったです。そうこの映画たぶん新しいことは何一つないんですよね。でもSFだからって新奇なものばかりじゃなくてもいいんじゃないかな、と思ったんですよね。デザインもストーリーもそしてネタバレになるので後述する恋愛ものとしても、どこかで見慣れたものしか出てこない。でも、それをすごく丁寧に描いているんですよ。ちゃんとSF、ちゃんとデザイン、ちゃんと恋愛。なんだろうただそれだけなのに、すごく面白かったのが不思議です。他の映画がきちんとSFしてない、というわけじゃないんだけど、この映画この3つをちゃんと同期させてる。バランスが良いと感じさせないくらいに、当たり前の顔でちゃんとしてる。そういう意味でも面白い映画でした。


ネタバレ











この映画、SFでありながら普遍的な男女の恋愛を描いた作品でもあるんですよね。SFで恋愛ってないわけじゃないけど、なんだかどうしても人類愛とか種族(ロボットやエイリアン)を超えた愛とかそういうくくりで語られてしまうことが多くてここまで普通の男女の恋愛からぶれずに向き合った作品はあまり多くない、かもしれません(単に忘れているだけかもしれないけど)。
トロールに出るジャックと、二人が任務の間中暮らしているスカイタワーで指示を出すヴィクトリアの二人だけの世界。スカイタワーはガラス張りで開放感があり、ジャックとヴィクトリアの二人はこれ以上はないほどの最高のパートナーなのですが、話が進むにつれてそれがなにかおかしい雰囲気を出し始めます。その心も身体もお互いを知り尽くしているはずの二人の間には一つのパターンがあります。パトロールに出る前にキスをすることとか、それはパートナーであればごくごく自然に日常に組み込まれる手順が。でもそのパターンを外れるような行為は機械のように厳密に取り除かれます。ジャックがヴィクトリアに(恐らく危険はないと判断した)植物をプレゼントした時にそれが現れていると思うんですよね。この二人の間には一見深く理解し合ったカップルどうしの複雑なパターンがあるようで、実はプログラムのような硬直した一つのパターンしかない。それを外れることがヴィクトリアにはできないのだと思います。そしてそのパターンの外側からやってきたのがジュリアというジャックの本命とも言える女性です。これは中盤でわりとあっさりと明らかになるのですが、ジャックの失われた記憶に登場する恋人はジュリアなんですよね。そしてジュリアはジャックの妻です。ヴィクトリアは素晴らしいパートナーでした。決してスカイタワーから出る事はないけれどジャックへの指示は的確だし、たった二人きりで普通に考えたら精神的に参ってしまいそうな状況なのにうまく関係を保っていました。でもヴィクトリアはジャックの本命にはなれなかった。記憶を消されてもジャックはまた同じ人、ジュリアを選んだ。この違いはなんでしょうか。ヴィクトリアはジャックを包み込むことができた、癒すことができた。それは母親の愛に近いものじゃないかと思います。スカイタワーという子宮の中でジャックを慈しむことができた。ではジュリアは。彼女は外から来たジャックには予想していない異物です。そして彼女はジャックと共に外に出て行きます。いつエイリアン(エイリアンとはいうものの実は地球に残った人間ですが)に襲われるか分からない、協力し合えるかどうかも確かではない外界へ。この違い。恋に必要なのは、女子力でも母親のような優しさでもない、まして「もうこの人で良いや」っていう諦めでもない、覚悟です。この人と生き抜くという覚悟。それがあるかどうかが、この二人を決定的に分けているんじゃないかと思います。そして私はヴィクトリアにすごく共感しました。結局怖いんですよね。その覚悟を決めるということが。彼女の聡明でユーモアのあるキャラクターにかぶるところなんてひとっつもないんだけど、真相が明らかになった時の胸の痛み、信頼がガラスのように砕けた瞬間の虚ろな目から流れる涙とかすごく分かる気がしました。どういう手順を踏めば理想的なパートナーのパターンを組み立てられるかは分かるのに、どうしてその手順なのか全然分からない。必死だったんじゃないかな。私にはそんなパターンを組み上げる技法すら分からないけど。彼女の心境は、映画の後半に登場するアンドリュー・ワイエスの絵にもあるんじゃないかな。遠くに佇む家を見つめながら草地に横座る女性後ろ姿が印象的な絵ですが、そこにはなにか理想に近づくことのできない人間の孤独感のようなものがあると思います。

一方、ジャックとジュリアという二人もまた恋愛の一つのかたちを描いていると思います。ジャックはクローンとして何体も複製されたうちの一人です。パトロール用のスーツに縫い込まれている番号49が識別番号ですね。そしてジュリアはクローンでも何でもない普通の人間です。そして49号は死に、映画の最後で49号の意思を継いだ52号がジュリアの前に立ち現れます。クローンのアイデンティティの連続性の根拠をどこに持ってくるかでこのエンディングの受け取り方が変わってくるんじゃないかと思いますが、私は意思を根拠にしたいと思いました。エイリアンとの戦争が始まる前のまだ平和な時代の記憶は、49号が持っていたように52号も持っているはずですよね。それはオリジナルから受け継いだ記憶です。でもジュリアが目覚めてから49号と過ごした時間は、映画の最後にはジュリアにしかありません。その時52号は地球の生き残りたちと一緒にいたので。そうするとジュリアの側から見ると、オリジナルとの別れ、49号との別れという二つの別れを経験していることになります。でもオリジナルも49号も「自分にしかできないことをした」結果なんですよね。それがジャックという人間の意思、彼が果たすべき義務であり、ジュリアはそれを根拠としてジャックを愛したのではないかな。何を根拠にその人と生きる覚悟を決めたか。それがこの意思なんじゃないかなと思います。そして映画の最後でジュリアはどの記憶も持たない新しい「ジャック」を迎え入れます。でもまだ彼がその意思を持っているかどうかは分かりません。でもジュリアには確信があるはずです。それを二度も体験しているから。

余談だけど、「テット」から指令を送るサリー(かつて実在していた人間を侵略したエイリアンが使い回してる偽の人格)が常にざらついた映像で指示を出していたり、エンパイアステートビルがジャックとジュリアの思い出の場所だったりなんだかMGS2みたいでちょっと笑いました。サリーの映像もやり過ぎない程度に違和感を出していたし。なにしろ「ジャック」だしね(笑)