道化師の蝶

道化師の蝶

道化師の蝶


感想書き終わってから気づいたけどこの2作品って3人の関係の物語なんですね。Boy's Surfaceは2人の関係の作品が多かったけど増えたw 次は5人の関係になったりして。素数的に。

  • 道化師の蝶:どこにでも言語を見いだす視力

映画監督のJ.J.エイブラムスは子供の頃におじいさんにもらった不思議な箱を今でも開けずに持っているそうです。もちろんそれは子供を喜ばせるだけのただのおもちゃの箱ですが、大人になり映画監督として素晴らしい才能を発揮する彼の創造性は、その箱の中のことをあれこれ考えるところから来ているのだと思います。不思議な箱はその独創的で魅力的な彼の創造性の象徴にすぎません。才能は彼の頭の中に存在しています。
創造性、発想力、着想。その正体はなんなのか、それはどこからやってくるのか。この物語に登場するA.A.エイブラムス氏は、不思議な箱ではなく着想をとらえる銀色の捕虫網を持っています。その網でエイブラムス氏は飛行機上に浮遊する人々の着想を蝶のように捕まえます。ってなんだかファンタジーっぽい話ですが、これは友幸友幸(トモユキトモユキ)という作家の書いた「猫の下で読むに限る」という小説の翻訳にすぎません。正体不明の作家、友幸友幸の遺した原稿を探し出すよう莫大な資産をつぎ込むA.A.エイブラムス氏と、そのエージェント。エージェントは文芸作品だけではなく様々な手工芸品も発見します。そしてその手工芸品を作り出しながら国々を渡り歩く旅人がやがて銀色の捕虫網を作り出します。

どうやってそんな着想という言葉にならないものを捕まえられるのか、というとそれを捕まえるのが「言葉」です。私もこうやって本を読んで感じた、ぼんやりとした気持ちや頭の中に浮かんだかたちをなんとか言葉にしています。まあ私の網は穴だらけですが。でもその言葉を上手く扱うのではなく、言葉を捕らえるのは、指先というとても繊細な動作を可能にする動きなんですよね。言葉は理性だけのものではなくて、もっと身体に近いところにも存在しています。ちょっと違うけどダンスって多分そういう表現方法なんじゃないかな。でも身体に近いほど言葉は輪郭を失って曖昧になっていきます。その境界、意味を残したまま縁(ふち)だけが消えた言葉。その微妙な線上にあるのが指先という身体で、手芸はその指先が紡ぐ縁のない言語なんじゃないかなと思います。

模様自体に意味はなく、模様から意味が紡がれていく。糸で、針金で、鉛筆で、ボールペンで、万年筆で、銀筆で、アルファベットを縫い取っていく。

手芸だけでなく、様々なものに言語を視る能力。この視点を通して観る世界がすごく面白いんですよね。

物語の中の登場人物が物語のなかの物語に後退して行き、その後退のトランジットに存在する物語の中の物語。ちょっとわけが分からないけど、それが最初の物語につながって環を描いています。

旅の間にだけ読める本。
本を読む間だけの旅。
本を読む間の旅にだけ読める本から再生される手芸。
手芸からまた読み出される本。

ってこと。うまく言葉にする事ができないけど、言葉にする必要はないですよね。だってこの本に書いてあるから。それが頭の中に構造として描かれるとすごく綺麗なんですよね。この構造はBoy's Surfaceに似ているような気がします。円城塔さんの作品に登場する「かたち」はそれ単体で必要以上の装飾がないのにシンプルで宝石みたいなんですが、これもそういう感じ。そしてこの環こそが捕虫網であると思うんですよね。道化師の蝶はその環に捕われたなにか。J.J.エイブラムスが不思議な箱の中に閉じ込めていて、A.A.エイブラムスが捕らえようとしたもの。最後に蝶が羽ばたいた時、その蝶を閉じ込めていた「かたち」が結晶化したようですごく綺麗でした。でも、私には網は要らないみたいです。あの蝶がどこかで羽ばたいてるのを観てみたいですからね。

  • 松ノ枝の記:直角三角関係

能代償というものがあります。私もこれ、ゲーム*1やって知ったんですけど、脳の一部分が損傷して機能が失われた場合、他の部分がその機能を引き継ぐことです。みんなでちょっとずつ肩代わりする感じですね。一方で普通はひとつながりの機能が分断される、ということも起こるらしいです。読むことと書くことが分かれてしまうなんてちょっと想像できないけど。この物語では読むことが女性に、書くことが男性に振り分けられています。読む彼女はただ文字を読むだけ、その意味を読み取っているかどうかを知ることができません。説明難しいけど、記憶も意味を知ることも書く彼の機能なんですよね。眼そのものの損傷ではなく、脳の視覚機能の損傷だと「視えるけど見えない」、目の前にものを近づけると避けることができるけど「見えている」という意識がない、ということが起こるそうですが、その読み書き版、と言った感じでしょうか。でも彼はただの機能です。記憶と意味を結ぶ焦点がない代わりに身体と連結する彼女の、脳の機能の一つなんですよね。そんな不思議な関係の中に入り込むのが<わたし>という第三者です。この三角関係は、<わたし>を直角として、角度が大きい彼と、鋭角の彼女の、三角関係かなと思いました。彼と<わたし>の距離は近いけど、彼女は遠いですよね。
彼女は自分自身の記憶だけでなく、もっと深いところの記憶まで読み出します。誰もが忘れ去った記憶、旧い人類の記憶も。自分自身の記憶かどうかも分からないから、井戸から水を汲み出すように、自分がどれだけ必要なのか分からないまま、深いところから延々と読み出してしまうのかな。忘れ去った記憶の島を飛び越えるようにして。
そしてこれは、そんな彼との別れの物語なのでしょう。直角三角形の一つの角が無限の彼方に遠ざかって行けば行くほど、一方の角は無限に直角に近づいて行きますよね。行きます…よね?(数学自信ない)機能が失われたことで他の機能が肩代わりするのではなく、機能自身がその構造を変えた、という考え方は、切ないけどなにか救われる感じがしますね。

彼が呆れ顔で笑ってくれたなら、それ以上の僥倖はない。

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Boy's Surface - ここでみてること

*1:もちろんMetal Gear Solid Peace Walkerです