アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風



誰が現実を物語るのか。


1作目「戦闘妖精・雪風」では機械の自律を、前作「グッドラック 戦闘妖精・雪風」では、機械と共に生きる人間の自律を描いてきました。そして今作では、自律というものを根底からくつがえす「現実」についての物語でした。いやー本当ね、すごいとおもう。読みながら何度もごえええーと変な声でた。まあそんなことはどうでもいいんだけど。
自律するということは、それ自身で物語を紡ぐこととも言えると思います。『あなたの人生の物語』をあなた自身で語ること。意識というものはそれを自動的に書き続ける機構だと思うんですよね。SFを読む人にはよく知られている「リベットの実験」(人の行動は意識する前に既に実行されている、というもの)は、意識とはその人自身に最適であるような、言ってみれば都合の良いストーリーを作り出す仕掛けなのではないかということを示唆しています。私が見ている現実とあなたが見ている現実はほぼ等しいと思われるけど、完全に一致するものではないんですよね。
それでは雪風という機械が見ている現実とはどういうものでしょうか。機械は人間のような都合の良い物語を生み出す機構を持ちません。それが在るままに認識します。それは人間の側から見たら、感覚器を通してしか見えない世界の向こう側、本作では<リアルに一歩近づいた世界>として描かれています。その風景の異質さ、新鮮さはすごいとしか言いようがない。普段は数値でしか見えない世界に迷い込んだ風景は、認知を超えたあの世、死の世界とも言えると思います。
その世界に人間の物語は存在しません。人間に取って都合の良い「現実」がない世界で、この物語の面々は戦いを強いられます。もう人類のためとか、組織の存続のためとかそういう次元の話ではないんですね。個々が生き延びるための現実を、いかに存続させるかというそういう戦いです。これまでは銃弾が飛び交う中、生命の危機をいかに回避するかというフィジカルに拠った生存競争を表面的に描いてきましたが、恐らく「人間の意識、現実をいかに維持するか」というもっとメンタルに拠ったこちらがメインなのでしょう。
ジャムという正体不明の異性体はこれまでのフィジカルな侵略から、そういうメンタルな方へと戦略を変えてきます。それに対抗できるのはもちろん雪風だけです。人間にできることはそれほど多くはない。この物語は別に人間に失望しているわけではないと思うんですよね。まあここまで無力だっていうのも読んでてちょっと辛いけど。かと言って人間にしかできないことがある!と意気込んでいるわけでもないと思います。人間は人間の、機械は機械のそれぞれ担うものがある、というだけだと思うんですよね。
雪風は機械なので現実を物語る、という機能はありません。彼女はただ人間たちが見ている夢のような現実を集積し、解析するだけです。元々偵察機ですからね。人間は個々に都合の良い現実を見ています。無意識に感じたことに対して意識という光を当てて、それらしい像を描き出しているだけです。それでもその意識の光の当て方さえ、ある程度一致していればだいたい似たような現実を見ることができるはずですよね。でもそれができなくなってしまったら。自分ではこうだと思っていたものが、別の角度から光を当てているのだとしたら。同じものでも見方や感覚器のちょっとした錯覚で、それが意味するものが劇的に変わってしまうことはあるはずです。個々は正しい認識なのに、統合できなくなった共通認識。それが後半の奇妙な世界の描写です。本当ね、何度も言うけどこの思弁や論述がものすごくかっこいいんですよ。
そういう奇妙な世界を生み出したジャムと言う敵は、最初からその正体は明らかにされていません。「人間には知覚できない、なんらかの意思を持つもの」それは言ってみれば、神とかそういう概念に近いんですよね。でも神は攻撃してこないけど、ジャムは明確にしてくるので概念上のものではありません。現実に干渉しながら概念としてしか捕らえられないもの、というとてもやっかいな敵です。彼らには実体がありません。人間が「ここに居そうだ!」と思うところに、そういう時にしかその意思を表しません。意思だけがそこにある存在なんですよね。で、これがそこら中に偏在している。偏在と言えば、P・K・ディックの「ユービック」という小説があります。この小説を私は「概念が顕在するということ」を描いた作品だと思って読みました。このジャムという存在もユービックの世界のように「局所的に顕在化する概念」なんだと思うんですよね。まあユービックのスプレーの代わりに、人間の知覚の焦点があたることで顕在化しているっぽいけど。
そんな相手が「現実を無効化する」という戦略で戦って来るんだから、もう人間にできることなんてそれぞれの現実を細々とつないでいくことだけです。でも雪風はそれらを統合できる。雪風はジャムの戦いに対して、人間たちの現実を統合して「現実を有効化する」という戦略を取った。それが「魔を祓う」ということだと思います。
このメタ的な攻防の静かで熱い戦い、雪風のどこまでも合理的でありながら結果的に人と共生する判断、その雪風と共に新しい「なにか」になろうとする深井零のどこまでも真っ直ぐな意思が本当に素晴らしかったです。雪風と零という新しい意思を持つものが、地球の空を巡り地球人に挨拶をするラストは、これこそ本当の「ファーストコンタクト」なのだと思いましたね。



キャラクターの中で印象的だったのは、深井大尉の上官のジェイムズ・ブッカー少佐でした。いやーこんな扱いの難しい零をよく働かせてるなあとか、容赦なくこき使うクーリィ准将によく仕えてるよなあとか、こんなに頑張ってるのに秘書もいなくて一人でココアいれて飲んでるとか、ココア好きってなんだかかわいいなとか思っているうちになんだかすごくいい人に思えて来ましたね。こんなに人間味の薄いキャラクターに囲まれてるから、なんだか一層人情深く思えるのかな。あと登場人物がなにか納得したり、思うところがあった時に「フムン」と言うのが妙にかわいくてすきです。「ふむふむ」とかじゃないのね。


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