オール・ユー・ニード・イズ・キル


リトライのループというゲーム的な視点を持った映画だということは、予告やCMで告知されていることなのでネタバレではない、ですよね。何度も同じ時間を繰り返して、別の選択肢へと分岐して行くループものは「バタフライ・エフェクト」や「ミッション8ミニッツ」などがありますが、それらと並ぶ良い作品でした。
ところで私はけっこうゲームがすきなんですがあんまり上手くできません。それこそこの映画のように何度も何度もリトライを繰り返して、敵の配置を覚え、初見殺しのトラップにまずはひっかかり、ジャンプやアタックのタイミングを少しずつ少しずつ合わせて、ようやくクリアするタイプです。劇中、トム・クルーズ演じるケイジは何度も死にますがその死に様がすごくバリエーションがあるんですよね。一番良かった死に方は腕立てから横にローリングしてトラックの下に巻き込まれて死亡というパターン(笑)ああ、それわたしもやるよ。そういうばかな死に方。死がリセットの意味しか持てない物語の中で、ちょっと息抜きのようなそんなシーンがすごく良かったです。


ゲーム的な映画(原作は小説)ですが、ゲームとは違います。物語のあるゲームはキャラクターがいて、そのキャラクターをプレイヤーが操作することで物語が進んでいきます。そういう時って、物語を享受しているプレイヤー(わたし)とキャラクターの間にはちょっとしたパートナーのような関係があるんですよね。普通は、わたしが物語を導きキャラクターがそれを演じるという役割があります。具体的に言うとイベントを起すまで操作してデモシーンは観てる、というかんじ。そういうところは映画とあまり変わらないですね。それとはまた別にゲームを攻略している時はプレイヤーとキャラクターの間にしかない物語があります。この攻略はこっちから行こうとか、このコレクションを集めようとか。そのゲームのストーリーとは離れたところで、私はキャラクターとの間からエピソードを読み取っていると感じるんですよね。感情移入するというのもちょっと違う(まあダメージくらったりすると「あ、いたい!」とか言いますけど)、うーんなんて言うのかな。操作する方とされる方との一方的な関係なのでパートナーって言うのもちょっと違うけど、その物語はプレイヤーの数だけあるんじゃないかなと思います。


ゲームにはそういうものがありますが、映画にはそもそもプレイヤーはいません。この映画もゲーム的ではあるけれどゲームではないのはプレイヤーが不在だからです。映画の中にプレイヤーが出てもメタ的に一段上がるだけですからね。だから観終わった後にちょっと想像してみました。もしこの映画がゲームだったら、どんなプレイヤーが彼らを操作していたのかな、と。まあ私と同じくらい下手で、テレビの前であー!とか言いながらやっていたかもしれないなと思うとちょっと楽しいですね。だってすごい回数リトライしてるし。そしてそれを思うと、最後の局面ではこれ以上はないくらい緊張したと思います。私ならぜったい失敗する(笑)



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