メタルギア ソリッド スネークイーター


ゲーム「Metal Gear Solid3: Snake Eater」のノベライズ(Kindle版)です。書籍版は今年初めに発売されていて、そちらの方もすでに読んでいるのですがもう一回再読しました。

読む「ゲーム」

この作品はゲームのストーリーを書き起こしたものですが、オリジナルがゲームである以上この作品にもゲームの要素が含まれています。例えば最初のミッションである、ソ連からアメリカに亡命を願い出た兵器開発者ソコロフを奪還するヴァーチャス・ミッションのシーンでは、主人公スネークは最低限の武器装備のみで敵の領域内にたった一人で潜入します。そのスネークがソコロフとの合流場所である廃工場に近づいた時の描写ですが、

建物に肉薄するとは、警備の兵士から数メートルの至近距離まで接近することだ。注意を引けば発見されて死ぬ。ひりつくような危機感にさいなまれながら、スネークは目当ての通気口を確認した。彼が武装したまま中に入り込めるサイズだった。
メタルギア ソリッド スネークイーターより) 

とあります。ゲーム上ではこの廃工場の合流の流れは、小説のように通気口からのアプローチと警備兵を倒してドアから部屋に侵入する方法の2種類があります。(まあ他にもあるのかもしれないけど)ゲームでは必死に見つからないようにタイミングを見計らって緊張する場面ですが、地下を這い回るスネーク(蛇)というレトリックが活きていてとても面白いんですよね。
また、このゲームは強大な敵が順番に出てきます(笑)。コブラ部隊の痛み(ペイン)、恐怖(フィアー)、哀しみ(ソロー)、怒り(フューリー)、死(ジ・エンド)、そして歓喜(ジョイ)。この並びはゲームの進捗に合わせて配置されたものですが、作品内できちんとストーリーの積み重ねとして機能している点もとてもいいんですよね。
ザ・ペイン戦での痛みの克服は、ヴァーチャス・ミッションでの挫折からの最初の試練としてスネークの前に立ちはだかります。ゲームではようやく操作に慣れた頃に出てくる敵といったところですね。

真っ暗な闇の底の水中で、彼は必死で水を掻く。壁のような固いものに手が当たるときまで、ただひたすらに泳ぎ続ける。肺が空気を求めて激痛に苛まれていた。苦しい。息が出来ない。頭が痛む。何も考えられない。だが、呼吸すれば死ぬ。(中略)彼の今の敵は、苦痛そのものだ。ただひたすら自分のしていることが正しいのだと信じて、耐えながらがむしゃらに進む。
メタルギア ソリッド スネークイーターより) 

水を貯えた真っ暗な洞窟でのザ・ペインとの戦闘シーンです。本当にゲーム中、水中に飛び込んで敵の攻撃交わしたりするんですよね。ちなみに酸素の限界もちゃんとあるのであんまりもぐってるとゲームオーバーになります。ゲーム的には痛みがどうというより、いかにザ・ペインにダメージを与えるかに集中しなければならないところですが(これが当てにくいんだ)、小説だと「痛み(ペイン)と戦う」という行動がちゃんと抽象的な意味まで補完されているんですよね。
他にコブラ部隊戦ではスネークさんはザ・フィアーの攻撃で毒矢を受けてしまうのですが(笑)、嘔吐したり血清を注射したりとゲーム内でのサバイバルビューア(ダメージを治癒したり、スナミナを回復させるモード)のアクションがさりげなく描写されているのもなかなか小ネタが効いていて楽しいです。

ボス戦やステージ攻略などのゲームシーン自体を全体のストーリーと絡めるのはけっこう難しいと思うんですが(どうしてもゲームに集中してしまうからね)、小説ならではの描写と構成によってゲームシーンとストーリーを両立させることに成功している作品だと思います。

ゲームの背景を読む

これはゲームに限ったことではなくて、映像全般のノベライズにも当てはまることだと思うんですが、なぜそれがそこにあるのか、という必然が文字として説明されているのがノベライズの楽しみでもあると思います。デモシーンはわりとちゃんと見てるけど、ゲームシーンの背景って実はあんまりよく見えてないんですよね。特にこのゲームはとにかく遮蔽物があればなんでもいいので(笑)、それがどうしてそこにあるのか、なんてことまでは考えない、というかそんな余裕ありません。だから冒頭の廃工場が元はなんであったのかとか、要塞グロズニィグラードがなんでジャングルのど真ん中にあるのかとか、そういった部分が補完されることでストーリーに奥行きが出てくるところが面白いんですよね。どうしてここは山猫部隊が警備していて、あっちは普通の兵士なのか、とか。それがちゃんとヴォルギン大佐を含めた政治的な話になり、兵士の出身地の違いにまで言及される。こういう設定をきちんと踏まえてさらに押し広げて行く、そしてそれが一見難攻不落に見える大要塞のセキュリティホールとして描かれている部分が面白かったですね。設定がちゃんとお話につながっている。当たり前だけどそういうところが、SFっぽい几帳面さだなあと感じました。ゲーム自体もかなり綿密な設定を持っていますが(まあ単独で潜入とかは置いといて)なかなかゲーム中に長々とそれが語られることはないですからね。ただでさえ映画ゲーなんて言われてるくらいだし。


そしてゲームでは語られないオリジナルのエピソードもとても良かったです。ここまでゲームをしていながら私はザ・ボスという人物がよく分からないんですよね。コブラ部隊との戦いはスネークにとって、そのまま戦場で生き残るための生存競争(サバイバル)です。痛みと戦う、恐怖と戦う、哀しみと戦う、怒りと戦う、死と戦う。でも最後の歓喜。これはなんだろう。歓喜と戦う?ってちょっと変ですよね。これはつまり、生存のための戦いではないということだと思うんですよね。ここだけ戦いの意味が異なるんです。奪うための戦いではなく、与えるための戦い。その与える者としてのザ・ボスが何を持っていたか、何を育んできたのか、何を奪われたのか、ということがゲームよりも詳しく描かれています。(続編のピースウォーカーでも語られた部分も含めて)この物語の特異点のようなザ・ボスという人物像が少しだけ見えたような気がしますね。(少しだけ)


関連記事
メタルギアソリッド スネークイーター - ここでみてること
メタルギアソリッド スネークイーター 3D - ここでみてること