ゲームをクリアするっていうこと


ここのところちょっと忙しくてですね。心を亡くすと書いて忙しいと書くように、わりとあっさりと余裕なくします。んで、そんなふうに余裕がない状態というものにまったく耐性がないものですから、この時期は現実逃避に勤しんだりします。まー余裕ないなら余裕できるように努力すればいいんですけど、やってもやっても終わらないことに力を注ぐの難しいんですよねー。


そんなわけで、ここのところ空いた時間はずーっとゲームしてました。気分によっては本を読むだったり、映画を観るだったりするんですが今回はゲーム。
仕事でも足りない頭を駆使しているのになんでうちに帰って来てまでゲームなのか。それも難しい部類に入るSRPG。でも、ここ最近の集中力はなんかすごかったんですよね。その集中力を仕事に使えばいいんだけど(笑)どうしてこんなに没頭しているんだろう、と通勤途中にとぼとぼ歩きながら考えたんですが、ゲームは基本的に解があるんですよね。その解を見つけること=クリアすること、です。当然仕事にも解はあります。というか仕事はその解までの過程を自分で築いていかなければならない。仕事は解に至る問いを立てるところから始めなければならない。でもゲームは予め問いが用意されている。あとは「何も考えずに問いを解くことだけを考えればいい」んです。これがすごく楽なんですよね。ゲームのこと以外は何も考えなくてもいい時間はとても楽しい。


この「考えること」の違い。問いをたてるというのは現実への対応方法です。物語はそういうところから始まると思うんですよね。その問いをあれこれと考える。私は何者なのか、何ができるのか、とか。
そしてもう一つは予め立てられた問いを考えること。これは問いそのものを疑問に思わなければ、あとは理詰めで考えていけばいずれは解けるものです。まあ時々挫折するけど。
物語を内包するゲームにはこの2つの「考えること」がある。物語として問いかけ考えさせること、そしてゲームをクリアするために考えさせること。


この2つを両立させるのは、実はとても難しいことだと思うんですよ。ゲームは基本的にクリアしていくものだし、それには予め問いが用意されていなければならない。そこに物語の問いがリンクしていなければならない。クリアが何を意味するのか、単にキャラクターの成長だけなのか、その意味付けは他の映画や本などのフィクションにはない制約です。でもそれが上手く機能した時の面白さはまた格別なんですよね。


なんだかごちゃごちゃ書いてしまったけどまあそんなことを考えました。
ゲームを(2つの考えるという意味で)クリアするっていうこと。