SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

あらすじ
タイムマシン修理人の仕事を細々と続ける、僕はある日自分のタイムマシンを修理に出した時に出くわした「未来の自分」を誤って撃ってしまう。


ようやく読みました。取りかかりは遅かったけど、読み始めたらすごく読みやすいし、日本語訳の円城塔さんが実は英語版も書いたんじゃないかという文体と構造で楽しく読みました。チャールズ・ユウとエンジョウ・トウってなんだか似てないか。
というか円城塔さん以外にも居るんですね。こういうメタフィクションをネタにした作品を書く人が。いいぞもっとやれ。
SF世界と現実世界をゆるふわに行き来しながらも、その結合は繊細でとってもハード。円城塔初期作品の「SELF-REFERENCE ENGINE」に近いかな。読者は乗っかっている論理的基盤がどれだけハードかどうかは、ふわっとは意識しながらもゆるゆるした文体に戯れているうちに楽しくなってしまう、そんな感じ。
と、まあ円城塔作品と比較ばかりしていても仕方ないので、作品について。


タイトルの「SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと」と聞いて「銀河ヒッチハイクガイド」みたいな感じかなと最初は思ったんですよね。タオル忘れるなとか、パニクるなとか、そういう指南かと思ったらちょっと違いました。いや、指南はちょくちょく出てくるし、その解説はこの作品が円城塔訳で本当に幸せだなと思うような図解入り(笑)で楽しいんですが。
SF的な宇宙、フィクションと現実がゆるく混ざり合う世界で主人公のユウ(メタフィクションらしく作者が主人公)はヒーローでもなくなんてことないごくごく平凡なエンジニアです。その主人公がタイムループに巻き込まれてしまうという物語。その鍵となるのがこの本、「SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと」です。ほらきた!(うれしい)本の中でその本に言及する、自己参照(SELF-REFERENCE)構造(笑)しかしここで主人公はループを突破する!という意気込みは見せません。タイムマシン修理人である彼はその未来を変えることはできないことをよく知っています。
この物語の中で父親という存在がひとつの軸になっています。ループの中でユウは幼い頃に父とタイムマシンを造ったことを追体験します。それはどこか哀愁を帯びていて、子どもならではの残酷さや大人になった今、理解できる父の心境が詳らかに語られているんですね。人生の最高点は本来、その人生が終わってみないと分からないものですが、放ったボールが放物線を描くことに似て、ここがその頂点だという予感を受け取る瞬間があると思うのです。
その予感はどこから来るか。
それは祖父、父、息子とつながる時間の線です。この物語は父ー息子の大きなループを描いているんですね。息子はやがて父になり、父はやがて祖父になる。人間は(というか男性は)その繰り返し。その繰り返しもまた、タイムループと見ることができるのではないかと思うんですよね。
これと似た構造を持つのが映画「スカイ・クロラ」です。こっちは父や母にはならずに子どものまま踏みとどまっているところが違うけど、繰り返しというのは別に悪いことではなく宇宙の安定的な構造の一つなのでしょう。
そう、「SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと」はこのループを繰り返すことです。子どもが親になり、祖父母となり、

定理、その他の
あなたの人生のどこかの時点で、次の言明は真となる。明日、あなたは全てを永遠に失うことになるだろう。

そんな明日が来るまで、ぐるぐると繰り返すっていうこと。恐れずに次のステップに進むっていうこと。だと思います。


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