ハーモニー


観てきました。


原作に対して丁寧な映画でした。良くも、そして敢えて言えば悪くも。観賞後に率直に思ったのは、あの原作が映像化されている、トァンやミァハなどキャラクターがあの台詞を言っている、すごい!でした。あのシーンがこうなるのか、とか、あの台詞の時はこういう顔をするのか、とか映像に翻訳された小説を読んでいる感じがしました。なるほどなーと。
そういう意味でかなり精度の高い翻訳ではありましたが、一方でそれだけに終始しているとも感じたんですよね。これは私が先に原作を読んで先の展開を知ってしまっているせいなのかもしれないけど。


映画化としては申し分ない。それじゃあこのちょっとだけ、何かが足りない感じはなんなのだろう。それはたぶん「語り」ではないかと思うんですよね。

人が物語っていくその方法というのは、「物語そのもの」と同じくらいの意味や価値を持ちうるのです。『ロード・オブ・ザ・リング』はトールキンの『指輪物語』の物語に忠実な映画でありつつ、その見せ方により紛れもなくピーター・ジャクソン監督の作品になっていました。いうなれば、ピーター・ジャクソンはその語り口において自らの物語を語ったのです。
伊藤計劃著 「メタルギア ソリッド ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」 あとがきより)

原作を使って自分語りをされたら当然嫌だし、某監督のように原作を破壊してまるでオリジナルのように創り上げてしまうのもどうかと思うけど(笑)、そういう「語り」を観たかったと思うんですよ。そしてその「語り」はこの映画の中に半分だけあったと思うんですよね。


「語り」は、トァンとミァハの同性愛的な関係で表現されていたと思います。自分と相手の境界がとてもあいまいな、一線を引くという発想すらない、幼くて純粋な少女たちの淡い一時の関係。その共感の構造が、もっと世界とリンクしていてもよかったんじゃないかなと思うんですよ。表層的な耽美なシーンも悪くはなかったけど、世界には二人だけなのだという孤立はあんまり見えてこなかったのが少し残念です。一方で、強烈な二人の分ちがたい因縁を感じさせるシーンはとても良かったですね。キアンのアレを再現するシーン、犯行声明を聞いているシーン。意識の焦点に常に存在する宿敵のようなミァハと、意図せずに世界を救うことになってしまう「主人公役」を強請されるトァン。最後の二人の対峙は、直接的な表現よりも耽美的で素晴らしかった。ですが、最後に原作にはない台詞を出すのなら、そのことについてもう少し語っても良かったのではないかと思います。


と、まあいろいろ書きましたが映画化されて良かったです。やっぱりキャラクターたちの台詞を声や表情で観られた点が良かったです。特にオスカー・シュタウフェンベルクを演じた榊原良子さん。滑らかなで冷たい感じの口調がキャラクターだけでなく、世界観によく似合っていて素敵でした。