虐殺器官

観てきました。良かった。

映画には文法があります。小説は言語の枠組みという意味での文法があるけれど、表現の作法という意味での文法があると思います。
この映画の文法と小説の文法の変換、映画化という試みはけっこう難しいと思うんですよね。特に「言語」という概念がテーマのものは。


「言語」を絵と音で表現する映画と、「言語」を言語で表現する小説とではやはり違いが出てきます。でも、この映画の中に「言語」はあったと、そう思うんですよね。
人に寄生し、人を操るものの存在が。それはジョン・ポールの発する言葉の中だけではなく、クラヴィスの表情や仕草、ルツィアのこちらを覗き込むような眼差しの中に現れていました。
この物語は小説と同じ筋を辿りながら、行き着いた場所は別のところなのかもしれません。それでも私はこの物語が好きだなと思う。自分自身の人生を記述するペンを持ち得なかった人間がそれを手にするささやかな希望と、引き換えの世界を覆う絶望と。原作の一つの解釈として、とても良い作品でした。


ネタバレ












ポール氏はときメモのアレは言ってくれませんでした。。いやそれだけが楽しみだったわけじゃないけど、やっぱりカットされたかー。
それはよいとして。母親のエピソードやそれにまつわる死者の夢などもカットされていましたが、うまく繋いだなーと思いました。2時間に詰め込むには仕方ないよね。
それでも、小説のセリフや地の文までもが役者さんの声で聴けるというのはやっぱり素晴らしかった。主役級二人の演技も良かったけど、地味におっさん方面が山路さんに土師さんに大塚さんにと、豪華キャストでしたね。ロックウェル大佐(大塚明夫さん)は小説ではなんとなくメタルギアソリッドのキャンベル大佐のイメージがあって、それが大塚さん(スネーク役)ということで「ああ、スネークが大佐だ。。」とひとりで感動してました。
あと、戦闘シーンの動きがすごく丁寧でよかったですね。最小の動きと派手な血肉の飛び散りのバランスが地獄感?ありました。なんていうか、一方的な暴力、虐殺を仕掛ける側の静と、虐殺される側の動という感じですかね。